クラシックとポピュラー
クラシック畑の人が、Jazzの書き譜を弾くと変になっちゃうことがあります。言葉で言い表せないけど、聴いていて気持ち悪いです。たぶんビートの取り方と和声感の問題だろうと思います。でも、クラシックの人は楽譜に書いてありさえすれば、弾くことは可能です。
逆にポピュラーの人がクラシックを弾くと難しい、無理‼︎と感じることがあります。それは普通にルバート(tempo rubato)の概念がないからだと思います。
ポピュラー人は「一にも、二にも、リズムがタイトである」ということが求められます。その感覚でショパンのノクターンを弾いたら、多分超絶技巧を超えて演奏不可能でしょう。
逆にクラシックのひとはリズムタイトの感覚が無いので、弾けても変になっちゃうんでしょう。
クラシックの人は書き譜面が得意です。大譜表に全て書き込んであるものを再現する訓練を楽器を手に持って直ぐ始めます。なので当たり前過ぎて「書き譜」という概念すらなさそうです。
ポピュラーには譜面を読めない人もいます。以前「音価と音高をいっぺんに読み取らなければならないので、楽譜は難しい」と譜面を読めない人とセッションして言われたことがありますが…百歩譲って、その方の気持ちもわからないではないのですが、音価と音高がバラバラに書いてあったほうがより悲惨だと思いました。確かにポピュラーはジャンルによってですが「難しいよね!」って愚痴っているだけで譜面が読めなくても済んじゃうのです。
JAZZは譜面が読めないと困るジャンルです。上記の譜面の読めない人もJAZZのセッションをして、いっぺんで矯正されて譜面が読めるようになりました。残念ながらメロ譜が分からないとセッションに参加できません。
メロ譜とは、高音部譜表にメロディとコードが書かれている譜面です。親切だとイントロやエンディングのメロも付いています。ギターのタブ譜が書かれている場合もあります。ギターの人はタブ譜を見て簡単に弾き語り方できるそうです。
私はタブ譜を読めません。クラシックギターではタブ譜は使わないのか、しばらく習っていても、タブ譜に出会うことはありませんでした。ギターでもこんな違いがあるんですね。
メロディとコードだけが決まっているから、インプロビゼーションも簡単です。融通のある楽譜だから、今日集まったメンバーと「ボサでいく?」で演奏途中でリズム隊の気が変わったら4ビートになって、最後はボサに戻って…なんて勝手なことが集団でできたりもします。
クラシックで育った人は、要領と感がわかれば、ポピュラーにチェンジするのは楽です。楽譜だつて読めるに越したことはありません。
クラシックでもインプロビゼーションをしなくてはいけない時代が有りました。バロック時代は通奏低音と言われる低音の旋律のみが書かれて、それに適切な和音を付けて演奏されました。今のポピュラーのコードネームに近い感覚です。また、協奏曲なんかの「カデンツァ」などソリストがオーケストラを伴わず自由に即興的な演奏する部分がありますし、現代でも、独奏協奏曲の「カデンツァ」などソリストがオーケストラを伴わず自由に即興的な演奏する部分があるので、インプロビゼーションの機会もあります。
ポピュラーの人がクラシックの譜面を見て弾くほうが困難なのかもしれません。なんせ低音部譜表に左手の動きが事細かに書かれているし、両手が重音になっている楽譜を見るのは中々苦痛です。メロ譜に見慣れていると、本当にヘ音記号が読めなくなりますから。
という訳で、クラシックが強い人、ポピュラーが強い人、それぞれ得て不得手があります。ジャンルを超えて、色々なものにチャレンジするのは楽しいと思いますが、チャレンジしたいジャンルに必要な感覚を身につけるには、今までとは違う練習なり鍛錬の必要性があるかもしれませんね。
とは言え、ポピュラーでもピアニストは譜面を読める必要性があります。楽譜を読め無いメンバーが達がその部分で、一番頼りにするのがキーボーディストだからです。
2016.05.02│コラム