音を感じる力 2
「音を感じる」…
色んな意味があると思います。
耳に届いた音に反応する、例えば音名や音の相対関係が判別出来る。リズムが頭の中で音符になって即座に理解出来る。書き取り聴音をすると、この手の能力と理解度は白昼に晒されます。だから、音大音高の入試試験では試験科目に入っていることがあります。
クラシックの和声感とポピュラーでは大分違います。例えばジャズの人は、階名で下から「ミ ラ レ」という和音が聴こえたら、「ドミソ」つまり Cコードに聴こえます。これはベースの音、この場合は実際には鳴っていないbassの「ド」の音頭の中で一緒に聴いているからです。
その続きで、ジャズのピアノソロの場合、頭の中でベースやドラムスが鳴っているのに合わせて演奏しているので、所々で根音を省略(クラシック的な言い方ですが)したり、またはベースラインを弾いたり、単調にならないよう音をチョイスすることが出来るわけです。
リトミックの創始者、エミール・ジャック・ダルクローズは、このような内的聴覚の事をインナーイヤーと呼んでいました。ダルクローズは音楽大学の学生に内的聴覚が必要だと考えていました。彼の求めていたのは「音感、音程、調性感、和声感が実際に音を聴かなくてもわかる」レベルです。
なぜなら、ダルクローズは1865年生まれの作曲家だからです。この頃はパソコンがありませんでした。
例えば…
オーケストラの曲を書くとします。いちいち音を出して確かめないと書けないなら、書いている間自分の側にオケを置いておかなければならなくなります。大変、非現実的な作曲の仕方ですよね。
作曲科の学生は、一生懸命この能力を磨くわけです。和声の課題を解きフーガを書きそして管弦楽法を学び、素晴らしい過去の作品を写経?もします。ダルクローズソルフェージュはこの能力を得るためのトレーニングだったのです。
幼児向きの音感教育法の知られているリトミックのソルフェージュが、実は敷居が高いとわかったところで。
21世紀、自宅にパソコン、スマホを保有している人が殆どの現代、頭の中で音を鳴らさなくても、MIDIで音源を繋げばキーボードが一台でたいていの音は鳴らしてもらえるようになりました。曲を作ったり、書いた音を確かめるのには大変便利にです。これらDTMの初期費用は10万円くらいです。
その初期費用さえケチるとなると、やはり、経験を積んでインナーイヤーを鍛えるしかなくなります。適当でよければ、それ程難しい事ではありません。例えば、ピアノコンチェルトはピアノソロと大体同じメロディをオケが演奏してくれる場面が多々あります。
なので、「こういうピアノ曲だとオケにするとこんな感じのアレンジ」って、とても参考になったり、わかりやすかったりします。
頭の中にチープでも音源ソフトがあれば、ピアノ譜を見ても勝手に管弦楽に置き換えて鳴らしてくれたり、または譜面に書かれていないオーケストラの呼吸みたいなものも、感じることができるかもしれませんね。
そういえば、私も吹奏楽部の生徒さん達から、クラリネット二管とピアノ伴奏で吹けるように、「トトロ」と「もののけ姫」の挿入歌のアレンジを頼まれたとき、テレビでオカルト映画を見ながら書いてました。テレビが付けっぱなしで、ながら見だったのですが、頭の外で悲鳴やその他のBGMや効果音が鳴っていても、あんまり気にならないものです。(かえって静かだと気が散ってしまって・・)
音を聴く力とは「聴こえていない音を主体的に創造する力」なのだと思います。ですから、ソルフェージュの力を単に絶対音感に置き換えて発信する教育機関は少し偏りすぎなのではと感じるこの頃です。
2016.06.16│コラム