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お知らせ

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パントマイム『びっくり箱』の試演 1

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23日の発表会、講師演奏でサティの‘パントマイム音楽『びっくり箱』’を弾こうと思いました。それで演奏前にU先生や友達に聴いてもらうことに。
 

「エリック・アルフレッド・レスリ・サティ(Erik Alfred Leslie Satie、1866年5月17日 – 1925年7月1日)は、フランスの作曲家である。サティは「音楽界の異端児」「音楽界の変わり者」と称され、西洋音楽に大きな影響を与えたと見なされており・・・」
 

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ウィキペディアの冒頭の文章です。異端児だったんでしょうね。サティについては「4月27日のコラム https://mymusic-rhythm.com/date/2016/04」で、おおよその解説を書きました。
 

面白い曲ではあると思ったものの、最初に、U先生に聴いていただいた感想は、「わけがわからない」「弾きたいの?」でした。
 

U先生の和声感からは逸脱しているのだそうです。特に最後の曲は「変」だったみたいです。私も最初から「なんだかな?」と思っていたので、聴いた人はみんなそう感じるのだろうと思います。じゃあなんで弾く気になったのかといえば、プレリュードのメロディがキャッチーだったからです。ただし、サティの代表曲と言えるかどうか、日本のウィキペディアでは、ピアノ曲の欄に「ビックリ箱1899年」だけで黒字のままなので、別ページに曲解説があるわけでもなく、密やかにその他大勢の曲に埋もれています。
 

これは日本語版なのですが、英語版を見てみるとちょっと違ってきます。ぎっしりと書かれた英文の中に「Jack in the Box」を見つけました。なんで英語のタイトルをつけたのか、「considered fashionable」だからだそうです、つまり当時のパリっ子に流行りそうなオシャレなタイトルにしたらしい。
 

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「オーケストラに編曲するつもりであったが、1905年とある日にバスに乗った際に置き忘れてしまい失われました。」・・・というのが本人談。本人はバスの中に置き忘れたと頑なに信じていたらしいのですが、死後、楽譜は彼のノートや本やヨレヨレでくたびれたピアノの中から見つかったそうです。
 

そして1925年亡くなってから翌年、生誕60周年の式典で『ディアギレフの主催‘‘バレエ・リュス’』で『美術アンドレ・ドラン(フォーヴィスム‘野獣派’の巨匠)』、『オーケルトラ編曲はダリウス・ミヨー(‘フランス6人組’の作曲家)』というすごい面々、で上演されました。そして、フランスの批評家たちからは「平凡」「陳腐」と、イギリスの批評家たちからは”pert but hollow.”(どうも「粋なんだけど空っぽ」みたいな意味らしい)と酷評を頂いた・・
 

U先生まで「60周年年式典で演奏されるような曲なんですかねぇ?」っと、メチャクちゃな酷評。しかしながら式典で演奏されるならソコソコの代表曲なんでしょう。
 

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死後に楽譜が見つかったのは奇跡だったと思います。片付けと遺品整理に訪れた人の中にミヨーら作曲家仲間がいなかったら、楽譜は紙ゴミとして処分されていたでしょう。

住人本人が‘アパートメント丸ごと「宝石箱」で「宝の山」’(しかも誰一人して入室を許さなかった)だと主張していた、多分「ゴミ屋敷」に清掃と整理に向かうのは勇気のいるところです。偏屈なイメージがあるサティですが、このように素敵な芸術家仲間に囲まれて、結構社交的に生活していたことが偲ばれます。
 

そこまで話を聞いて、しかも「3つのジムノペディ」(三つの区別がつかない)や「ジュ・トゥ・ヴー」の作曲者と知らないと、なんだかわからないまま終わりそうな曲です。発表会では長々と解説をつけるかな・・・
 

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