太郎さんの朗読について
3月4日に太郎さんの朗読会があります。
その告知も兼ねて太郎さんの朗読やお話について書こうと思います。
実は、太郎さんとMYMUSICの付き合いは長くて、初めてホールを借りて本格的な発表会をした10年以上前から、ゲスト出演してもらっています。
その発表会の司会者さんが急遽キャンセルになり、(断られるのを覚悟で)太郎さんに司会を頼んだところ、快く引き受けていただいた上にゲストとして「お話」をしていただき、単なる友人から音楽仲間みたいになって、ずーっとお付き合いが続いています。
その時の「お話」は太郎さんのオリジナルでした。 お話の「主人公」は 、毎回何処かで読み聞かせをしなければいけなくなって、本を探しに阿佐ヶ谷にある「ヒデ爺さんの棚」という古本屋に本を探しに行き、朗読する本を見つける… という筋書きでした。(実は「ヒデ爺さん」という名前の表記も合っているのかわかりません、なぜなら耳から聞いているだけなので。)
そうかと思ったら、ある時は東北地方の「う段祭り」という架空のお祭りに紛れ込んでしまう…というお話もありました。 大変に実しやかで、会場にいらっしゃった生徒さんのお父様から「う段祭り」の開催時期などの細かい問い合わせが数件ありました。また、毎回プロのカメラさんに写真を撮ってもらっているのですが、「ヒデ爺さんのお店は阿佐ヶ谷のパール街にありますか?これかな?っと思った古本屋があったけど。」何故か真に受けるのは男性ばかりなのが不思議なのですが…
2012年の発表会で、ヒデ爺さんは阿佐ヶ谷の古本屋を店じまいしてしまいました。その後東北地方で、確か軽トラで移動本屋をしているヒデ爺さんに主人公が出会う、というお話で一区切り。ここ二、三回はイタリア人作家によるストーリーを朗読してくれました。その頃からは自作のお話より、既にある本からの朗読が主になっているのですが、太郎さんの朗読は自作自演と同じくらいオリジナルです。
すいません、やっと本題です。 太郎さんの朗読は、「読み聞かせ」と同じく「本を読んでいる」のに、今まで見聞きした事のある「読み聞かせ」とは全然違うのです。 なので、告知するにあたって太郎さんに質問してみました。
「太郎さんへ。
太郎さんの朗読は、今までどこかで見聞きした、「読み聞かせ」とは全然違うような気がします。
ストーリーテーリングは、所謂小学生低学年以下の年齢層に、読む人は椅子に座ったりして絵本の絵を見せながら紙芝居風ですよね。
太郎さんの朗読はより演劇に近いと思います、パントマイム的に見えるところもありますが、パントマイムでもないし一人芝居とも違うような気がします。
本を読みながら演じるということでしょうか?そのことで何か表現が広まりますか?
聴衆は、文字を読まずして聴覚だけが頼りになるし、もちろん読み手次第だと思いますが、日本語の語感やリズムが際立つので、演劇より音楽的な表現かもしれません。
太郎さんの声に癒されているファンが多いんでしょうね。」
太郎さんから返事が来ました。
「イメージしてるのは、まさにみきちゃんの言うとおり、
演技ではなくて演奏会ですう。 太郎」
そうなんですね。だから太郎さんの朗読はMYMUSICの発表会の中で独特でありつつも違和感がなかったのかもしれません。
最近感じている事なんですが、演技する事と演奏する事の垣根って、意外と低いかもしれません。そのことはチョット太郎さんの話から逸れちゃうので、またの機会にするとして。
夢は、 イタリアで日本文学を 朗読すること。 …という、とても音楽的な表現の「太郎さんの朗読会」詳しくは下記にて。
武富太郎の朗読会
2016年 3月4日(金) 19:00開場 19:30開演
二本立て
太宰治 「駆け込み訴え」読み切り
十返舎一九 「東海道中膝栗毛」抜粋、45分間
武蔵野公会堂にて 吉祥寺駅南口 歩5分
前売2500円 当日3000円
※18歳未満は無料 終演21:15予定
僕の肉声の口演を 体感してください。 (人形劇の経験があって、このフォームで本を持つとしっくりくるんだそうです。)
前売券はMYMUSICのお問い合わせフォームから連絡OKです。
ちゃんと太郎さんにお伝えいたします。(当日精算OK)
2016.02.22│コラム