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お知らせ

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見えているように動いていないかも

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

中央線沿い「阿佐ヶ谷教室」もご贔屓に!
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思った通り身体を動かすためには、まずはその運動をどのように認知するかが大切ですよね。

太極拳の先生がいつも言うのは「人間の体は見えた通りに動いていない」です。(または注意力の欠如や思い込みなどの原因から「不正確な情報をインプットしている」とも言って渋い顔をされるときもあります。)
 

 

 


 

 

 

先日は、観光に行くたとえ話をされて、湖=理想 木=動作の型 として考えると「到達すべき美しい湖(健康体、肉体美)があるのに道しるべとなる木(正しい型となること)ばかり見て(とらわれて)、木と木の隙間から垣間見えるはずの湖を見ようとしない、または湖ばかり見て木を見てなくて、木にぶつかったり転んだり、迷子になる人がいる」のだそうで…
 

 

 

同じようなことか音楽、特に楽譜に沿って演奏するクラシック音楽に言えるかもしれません。楽譜に書かれているたくさんの樹木に囚われて理想とする音楽に辿り着けないような譜読みや練習をしたり、または適当に樹木を飛ばし見て、本来あるべき姿とかけ離れた演奏をする…ありそうな話なので、自分的には単に太極拳だけでなく、色々な意味で肝に銘じるべきことなのだろうと思います。
 

 

 

話が横道に逸れて失礼しました。
 

 

 


 

 

 

聴こえたように弾いていない、見えてるように動いていない、は楽器演奏者として、学習途中で何度か思い当たる経験したことがあると思います。
 

 

 

例えば声楽を長く習っている経験からですが、ピアノでメロディを「歌うように弾く」のを目指して、本当に歌うのと同じにアーティキュレーションをつけて弾くと、あちらこちらぶつけたような音に聴こえてうまくいきません。歌は特にクラシックの声楽は、まず息に乗せてから楽音を発するので、音の立ち上がりがピアノより遅いからです。ですから正しくは「歌のように聴こえるように弾く」なのです。
 

 

 

(歌モノ風の楽曲を弾くとき、音楽的な息遣い‘ブレス’を入れるのや、‘フレーズ頭に子音が3っつくらい付いている歌詞がある風に想像してメロディを弾く’のは、歌を習った経験があるとやりやすいですよね。)
 

 

 

前回のクラスまでで、ちょくちょく太極拳の先生が「見えているように動いていない」と言われたのは、腕の動きでした。太極拳では主に24式という型を勉強しています。動作の中で大きく腕が動いているように見えますが、先生は腕を動かしていないと言われるのです。腕はその場に留まっているのだけど体が動くので、腕が動いているように‘表現される’ということらしいです。耳タコになってくると未熟ながらも本当にそんな気になってきました。
 
 

 


 

 

 

で、ピアノの話に戻ります。U先生のレッスンで腕の旋回がよく話に出ます。ショパンエチュードのエオリアンハープで有名なOpus25−1やプレリュードOpus28−19などに顕著に現れる腕・手の回転です。鉄棒で順手と逆手があるようにピアノの演奏も「順回転」と「逆回転」がありますが、大体において順回転をします。子供の頃にバカみたいに勉強させられたアルベルティバスも旋回を伴いますが、先に「腕を回すのが前提」で演奏すると、「演奏していたら腕が旋回してました」とは全く違う動きになります。ですから「腕の回転が必要です」と言って教えても肘が不自然に動いたり腕が無駄にぐにゃぐにゃして動いたりする人が何割かいて指導に窮するわけです。
 

 

 


 

 

 

これも「見えているように動いているわけではない」または「腕が旋回しているのではなくて、腕の旋回は最後の表れ」だとしたら・・・と考えました。実際、腕の旋回に対しては達人系のU先生の腕の動きは大変コンパクトで機能的です。U先生ご本人は平べったい楕円を描く腕の旋回だと主張しているのですが、腕が旋回していたら、このような一切無駄のないコンパクトな動きにならないと、疑いの目を向けた私は自分の生徒さんで人体実験をしてしまいました。その方は丁度ハイドンのソナタを弾いていて、「3連符の伴奏系(よくあるドミソの繰り返しの様な)が右手左手御構いなしに休みなしに現れて大変」だと訴えます。自分も試してみて調子が良かったので伝授することにしました。「腕や肘、肩を楽にして。5番の指先が鍵盤に対して内側回転するようにタッチしてみて。」すると、自然なモーションで順回転しました。生徒さん自身もコツが掴み易いと言っていました。
 

 

 
小指の先のほんの0.数ミリ程度の感覚です。(そういえば太極拳の先生も、昔のフイルム映画を例えに使って「上映する時スクリーンいっぱいに広がるけど映写機の中のフイルムは小さい、末端で動く同じ大きさで中心も動こうとしないこと」と言われていました。)『小指の先=中心』から『腕=末端』に動きが伝わると認知するとわかりやすく感じられそうです。(動きの中心を本来ならば体の末端にあたる指先と認知するのは意外な感じですけど。)
 

 

 

歌やら太極拳やら、色々雑多に経験しておくと何かに役立つこともありそうです。経験に無駄なしといったところでしょうか。
 

 

 

ピアニストは省エネ人間?!

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

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年若い生徒さんがピアノを弾いていると一生懸命オーラが全身から放出されます。対して大人の生徒さんはちっとも一生懸命さは見られないけど、とても力を使って弾いているように見えます。その一生懸命さや苦労して力を使う弾き方から解放されたならば、ピアノを弾くこと自体が素晴らしく楽になり、自在に楽器を操れるのだろうなぁと、他人事でなく思うこの頃です。

 

 

 

A先生やU先生の弾いている姿は、実に楽しそうです。本人的には色々とあるのかもしれませんが、一生懸命オーラもなければ悲壮感も苦労臭も漂ってきません。普段から楽々と演奏しているのです。

 

 

 

たとえば、お二人のように、自らが継続してリサイタルやコンサートを行う人は、「怖くて怖くて崖から飛び降りるような心境」で人前でピアノを弾いていないはずです。たとえばジェットコースターだってお化け屋敷だって、お金を払って嫌な思いだけなら行かないでしょう。スリルの中に絶対ワクワクや楽しさがあるから、行ってみたくなるわけで、リサイタルも実技試験と同じ心境になるなら、わざわざ自分で開かないと思うのです。
 

 

 

一回の演奏でお集まりいただいた聴衆に感動し共感してもらうのはとても緊張することですが、それを乗り越えられるほどの、強い喜びや楽しさがあるからこそ、できるのだろうとおもいます。
 

 

 


 

 

 

では、そのためにどのくらい練習したら良いのか。
 

 

 

U先生が読んだショパンの伝記に、基礎練について自身の言葉が記されていたそうです。「練習のし過ぎはいけません」練習時間を短めにするようにと書かれた後に「基礎練は二時間以内に収めること」と書かれていたそうです。リストは「沢山練習しなさい」と言っていたそうで、三時間の基礎練を推奨していたそうです。
 

 

 

昔の上流階級の人は余程やることがなかったのでしょう。一日中練習しても暇を持て余していたようです。「し過ぎないように」が基礎練だけで二時間とは参りますが、現代のお忙しいピアニストが基礎練を二時間しているとは考えにくいし、せいぜい30分(自分の生徒の前では一時間と言ってプレッシャーをかけているかもしれませんが)ではと思います。とりあえずピアノを思い通りに弾くためには、まずはある程度の練習量が必要になると考えるのが普通でしょう。
 

 

 

さて、この様に大事な人生の時間の一部をピアノの練習に捧げ、ピアノ中心の生活を一定期間続けると、人間はピアノを弾くための進化を遂げるのだそうです。…と「ピアニストの脳を科学する」(古屋晋一 著、春秋社)に書かれていました。面白い様な怖い様な。
 

 

 


 

 

 

その本によれば、ピアノの練習を開始する年齢も進化については影響して来ます。
(もともと脳は年齢により向上していく機能と鈍磨してしまう機能があります。変化しながら認知機能は60代で成熟するとの研究もあるので、年齢による見た目の変化くらい脳みそも別人の様に変化していくのかもしれませんね。)
 

 

 

脳の基盤部には白質という脳の神経細胞同士が情報をやり取りするために必要な何百本もの白いケーブルが詰まった場所があり、そのケーブルはミエリンという鞘に収まっていて20歳頃まで発達するそうです。
 

 

 

ピアノの練習を11歳までに始めた場合はミエリンの数が増えるけど、残念ながら12歳以上だと数の増加は見られなかったそうです。では11歳までに始めなかった場合は意味がないというわけでなく、鞘が沢山発達はしなくても、鞘自体が太く大きくなるそうです。(鞘が沢山発達したり太くなるということは、一度に処理できる情報量が大きくなるということです。インターネットと同じです。)
 

 

 

ですから大人になってからの練習は無駄というよりは、子供の頃に頑張った練習は報われるというふうに考えたほうがいいでしょうね。そして同じ内容の情報を処理する場合、ピアノ未経験者は脳の血流が増すのに比べピアノ経験者はあまり変わらない、つまり脳内が省エネ化しているそうです。
 

 

 


 

 

 

「ピアニストの脳を科学する」この本の冒頭十数ページでここまで話が進んでしまいました。残りの二百数十ページで書かれている内容を平たく述べれば、「ピアニストはその弛まぬ訓練の賜物として、全てのピアノに特化した運動や情報処理において省エネを可能とにしている」という事でした。
 

 

 

ピアニストが身体能力だけでなく脳の機能を向上させていると考えていると、ピアノの練習の見方も変わると思います。自分ではとても難しいと感じていたパッセージが楽譜の見方を変えただけで楽に弾けてしまったり、先生のアドバイスを聞いただけで弾ける様になるのは、認知の仕方が変わっただけで、練習の末の筋力や敏捷性のアップなどせいでの身体能力が向上したとは考えにくいからです。
 

 

 

ピアノを弾いていたら頭が良くなったと考えたほうがいいのか、それとも頭のいい人がピアノに向いているのかはわかりませんが、東京大学ピアノの会が名だたる名門サークルだったり、ピアノ・コンクールのアマチュア部門(アマコン)上位入賞者には、高度な専門分野(医師・研究者・弁護士・経営者など)の本職で活躍している方が多いことは、呆け防止や脳トレ目的でピアノを弾くことも、あながち的はずれではないということかもしれません。
 

 

 

とりあえず私は今、これを書きあげてから、20分くらいは基礎練をしようと思っています。
 

 

 

手の大きさに頼らない

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さて、新年会に向けて人々が始動しだしたこの頃、自分も新年会の出し物を考えようかなぁと思い始めました。前回の発表会では、巡礼スイスから名曲「泉のほとり」とイタリアから「ペトラルカのソネット104番」を弾いて涼しみました。まぁ、ペトラルカのソネットは暑苦しいイタリア男の恋の詩に曲が付いたものでしたが。

 

 

 

邦訳は日本人の感覚だと濃すぎるような・・・発表会の時は言語で武富太郎さんに読んでもらいましたけど、イタリア語だととても素敵な響きに聞こえました。

 

 

 

涼しげだったり歌モノに飽きたので、発表会後は4番「泉のほとり」の次の曲、5番「Orage」(邦題・嵐)を惰性で弾いていました。難曲であることばかりで名曲との評が全くないこの曲、ただ単に譜読みが楽そうなので選び、レッスンで見てもらったU先生と二人で「リストはチェルニーの弟子だし、チェルニーがわりのエチュードにちょうどいいかも」となかば馬鹿にしながらも、この頭の悪そうな曲をちまちま弾いていました。が、誤算がありました。この曲を練習していると汗をかくのです。「嵐」・・・これからのゲリラ豪雨や台風シーズンにちょうどいいかと思いましたが…
 
 

 

曲の冒頭からff その後Presto furioso(熱狂的に・荒れ狂って)rinforzando(その音を急速に強く)がいっぱいあって〜 sempre fff〜strinjeno(だんだん早く・だんだんせきこんで)〜sempre strepitoso(騒々しく・強烈な)Cadenzaで少し休憩できるかと思いきや、ad.libitumha右手のアルペジオのみ、主旋律の左はmarcatoだったり。

 

 

 

たいして長くない曲ですが、中間部分に‘休憩タイムがない、最後までうるさい曲’だったことが譜読みしていくうちに判明しました。オクターブの8分音符ばかりで譜読み後も楽そうだったのに大誤算です。少しはダイエットになるのかな・・・?

 

 

 

騒々しく・強烈なところの譜面です。ユニゾンのあとは両手オクターブでアルペジオ。

 

 

 

楽しそうな3度のスケール両手重ねも・・・一見難しそうでも2パターンだけ。

 

 

 

突然マーチみたいになった時の左手が、オスティナート。右手はワンコード、譜読みの嫌いな私から見たら素敵な風景!

 

 

 

9月半ばにA先生のレッスンに行くことができました。今回はリストばかり、ノクターン3番(愛の夢)を加えて、泉と嵐と104番を4曲を持って行きました。情熱家のA先生のツボにはまったのはやはり「Orage」で、早くものにするようにと・・・手が小さいのだからレパートリーにするのはやめたら?と言われるかと思ったのに、ちょっと意外です。
 

 

 


 

 

 

 

バカにしきっていた「Orage」ですが、U先生とのレッスンの中で、実は人間賛歌的な深い情緒があり、楽語の細かい書き込みからリスト自身は結構気合いを込めて書いたのでは・・という結論に達しました。そう言われてみるとヴェルディのオペラのワンシーンみたい・・・急にやる気がおきましたが、すでにU先生は「Orage」に飽きてきてしまったようで、次は絶対新しい曲にして!と言われてしまいました。

 

 

 

ところで先ほどの「新年会の出し物」の話に戻りますが、新年幕開け早々に「嵐」は顰蹙をかいそうなのでどうしようかな・・・とU先生に相談したら同じリストの「森のささやき」がふさわしいと猛プッシュです。「森のささやき」プラス何か(「嵐」でも)だったらまぁ無難ですよね。

 

 

 

話は変わりますが、私は身長150センチないくらい小柄で、手の大きさは小学生にどんどん抜かされていきます。中学生の生徒で私より手の小さい人はいないのです。そんな中、小学3年生のNちゃんが新年会ように新曲を持ってきました。「ラデツキー行進曲」‘ヨハン・シュトラウス1世’の名曲、ニューイヤーに鉄板の曲です。

 

 

 


 

 

 

曲の冒頭と中間部に少しだけですがオクターブのフレーズがありました。Nちゃんはまだオクターブの重音を弾いたことがありませんが、ちょっとだけ挑戦したそうです。うーん届くかな・・・ちょと無理かも。経験のない技巧を無理して長時間練習するのは怪我の元、一晩寝たら手が成長して1オクターブが届くくらい大きくなっているかもしれないからと説得。毎日「3回だけ」弾いてみて、出来そうかどうかを経過観察してもらうことにしました。

 

 

 

お母様もお迎えにいらっしゃって「オクターブのフレーズはまだ無理ですよね?」と尋ねられました。そこで毎日三回のお話をして、「手の大きさに関してはあと数ミリで余裕が出てくるとは思うのですが。」と話していて試しにNちゃんと手を合わせて大きさを比べてみました。ショック!Nちゃんと私の手の大きさがほとんど変わらない。

 

 

 

Nちゃんは「もう来週弾けるようになっているかも!』と急に威勢が良くなりました。実はこの日、私が「愛の夢」の中間部分を弾いていた時にNちゃんがレッスン室に入ってこられたのです。思いっきり聴かれてしまったようで、先生もオクターブ大丈夫なら自分もいける!と思ったようです。

 

 

 

そういえば・・・

 

 

 

今までたくさんの生徒さんをレッスンさせていただきましたけど「私は手が小さいので弾けません。」と言われたことは皆無です。それどころか私が「恵まれた大きさの手を持っているんだから、これくらい弾いてよ!」って冗談めかして言った答えが「先生、何バカなこと言っているの、手の大きさなんてたいして影響ないじゃない。」とだったことがありました(小学5年生に大真面目な顔で)。
 

 

 

 


 

 

 

こんなに小さな手でよく頑張っているなぁと自分の手が愛おしく感じられました。andなんで私はオクターブのパッセージが得意で(あくまでも本人比較ですが)私より手の大きい人でも得意じゃないまたは上手く弾けない人がいるのだろうとも思いました。

 

 

 

よくよく考えたらオクターブは手が小さい人でも届くので、抑えるだけなら手の大きさはあまり関係ないのです。大きな体躯や手を駆使しないと演奏できない楽器が存在している中で、ピアノに関しては、小柄な女性でありながら秀でたピアニストが大勢存在しています。手の大きさに頼らない弾き方は確かに存在しているのです。
 

 

 

ところで雑談ですが、最近急にリストばかりです。今年の春に生徒さんの結婚式で「ノクターン3番(愛の夢)」を弾いたのがきっかけで、「そういえばリストって人がいたわ」と思い出し、そしたら意外と付き合うのが楽だった・・・ということがあります。付き合うのが面倒な相手はショパン(もっと面倒臭い人がシューマン)です。U先生にその話をしたら気持ちはよくわかると言ってウケてました。リストは分かりやすいのが良いです。
 

 

 

こちらも大きくなってきました、生後7ヶ月に入り、とうとう3キロの大台に乗ってしまいました。

 

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