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活動情報

コラム

歌舞伎を聴く

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

中央線沿い「阿佐ヶ谷教室」もご贔屓に!
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先週、歌舞伎を観に国立劇場に行きました。

 

声楽の先生はいつも「歌舞伎は和製オペラ」と言って、このところ歌舞伎の話題が多いのでしたけど、オペラと歌舞伎は娯楽の中では共通点が多いのかもしれません。
江戸歌舞伎は、寛永元年(1624)、猿若中村勘三郎が中橋(現在の日本橋と京橋の中間)に、猿若中村座の櫓をあげたのが発祥と言われています。
 

一方オペラは、ルネサンス後期の16世紀末、フィレンツェで古代ギリシャの演劇を復興しようという動きが始まり、ギリシャ悲劇を模範に、歌うような台詞を用いる劇が考えられたのが、オペラのはじまりと考えられています。その後オペラの発展は、ドイツではヴァーグナー(ワーグナー、1813年 – 1883年)、イタリアではヴェルディ(1813年 – 1901年)によって、19世紀に最も劇的な段階を迎えました。
 

ところで、江戸歌舞伎は、世相の乱れから幕末は悪所と呼ばれ、一時期敬遠されましが現代では、世界遺産にも認定されて、国際的に高く評価されています。
 

これは、明治時代に、「日本にもオペラのように身分の高い人が見に行く芸能が必要だ」と考えた政府高官が中心になり、歌舞伎の改良に取り組んだことが影響しています。
 

へえ〜知りませんでした、開国にあたり歌舞伎はオペラっぽい感じを目指したんですね。
 

確かにオペラと同じで、歌いあり、踊りあり、語りあり。 話のネタは敵討ちや不倫に病死に殺人…等々、当時の三面記事。
 

日本の伝統芸能には疎い私でしたが、歌舞伎はオペラを観るときくらいの予備知識でついていけそうです。
 

オペラを観に行くというくらい、オペラは音楽を聴くためだけでなく、総合芸術を楽し観に行くのですから、その点でも歌舞伎の楽しみ方と似ているかもしれませんね。
 

さて、歌舞伎といえばお芝居ですが、その通りで歌と舞と演技で構成されています。花形役者や衣装、舞台装置など見所も満載ですが、実は音楽を聴く舞台でもありますよね。

 


 

 

演技は、役者が実演しますが、役者は歌いません。舞台上、あるいは舞台の裏で、歌っているのは別の人なのです。御簾の裏にいる人と表にいる人の違いは?長唄と浄瑠璃の違いは何?わからないことだらけです。

 

実は、歌舞伎の音楽には種類があって、それぞれに特徴があるということに気がつきました。…さて歌舞伎!と舞台を観だ途端に色々と気になりだすものですね。
さて、演目ですが、「増補忠臣蔵」「梅雨小袖昔八丈」

 

同行して頂いたのは朗読家の武富太郎さん。朗読も音の世界からイメージを広げます。彼の朗読する声は楽音です。そういう人とご一緒に歌舞伎が観れて幕間の話も花が咲きました。

 

 

国立劇場の緞帳は、綴錦織で製作されたものです。歴史は古く最古のものは天平時代の正倉院の宝物にみられます。その華麗さと芸術性の高さは、伝統工芸織物の中でも類いありません。国立劇場パンフレットより。

絵画と音楽

中野区 白鷺教室は、西武新宿線 鷺ノ宮 下井草駅近く、2018年2月から新装オープン❗️


 

白鷺教室がリニューアルして、阿佐ヶ谷教室の断捨離が進み、なんだか春に向けて新しい事が起きそうなワクワクした気分のはずですが…
 

春目前にしてこの悪天候と寒さは辛いですね。今週の水曜日に新国立美術館に行きました。至上の印象派展 ビュールレ・コレクション!
 

ほぼ印象派の作品、モネの睡蓮やルノワールのイレーヌ嬢の肖像画の世界感を期待して観に行ったのですが、新古典派やロマン派の作品、後期印象派や、フォービズムやキュリズムの作品の展示も有りました。
 

絵画や彫刻、建築も音楽と同じように「バロック様式」「ロマン派」「新古典主義」「印象派」「点描主義」時代ごとに同じように区分されていますよね。
 

私は音楽家の高校に通っていたのですが、そのときの音楽史は「建築」はなかったけど、「絵画」「文学」「音楽」のそれぞれの時流について総合的に教えてもらっていました。
 

単に音楽史の時間に使っていた本が、音楽の「ロマン派」を述べた後に、文学の「ロマン派」や絵画・美術・工芸の「ロマン派」やそれに前後したムーブメントを参考に書いてあったということなのですけど。
 

今回の美術展に行って、思いっきり高校時代の音楽史の時間を思い出していました。(高校では習いませんでしたけど、「建築」も面白いですよね。)
 

詳しく調べて、アップしようと思っていたら、すごく時間が過ぎてしまいました。(次回の本番の曲決めで、てこずったというのは言い訳です。次の大きな本番『さわらび会』は「リスト:2つの練習会用練習曲」に決まりました。)
 

少しづつ時間をかけてアップできたらいいなぁと思っています。

 

杉並区 阿佐ヶ谷教室は中央線 阿佐ヶ谷駅から徒歩4分、広々とした教室です。

良い頑張りと悪い頑張り

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ところで新年早々こんな言い方をしたら身も蓋もなさそうですが、人間は基本楽をしたい生き物だと思います。

 

しかしながら、他の生き物と違って、頑張って何かを成し遂げて喜んだり、または頑張っている姿を見て感動したりします。何の為に頑張るかは人それぞれで、色々なモチベーションがあると思います。ある人の場合はストレス発散だったり、または健康を手に入れる為だったり、高学歴や高収入の為だったり…
 

 

今年も生徒さん達から沢山のお年賀をいただきました。
 

年のはじめの挨拶はからやる気のない人は皆無で、「ピアノを頑張ります!」が定型文です。なかには美術館巡りが楽しみですと一文添えてくださった方も…懲りずに今年も一緒に遊んで下さるつもりみたいです、有難や…
 

ところで、私自身は努力ができない人です。小中学時代から、後一押し頭に詰め込めば世間体が保てる成績になるのにできなかったり、大人になっても今まで体操熱心に取り組んでいたものが、バタッとできなくなったり。
 

不思議ですが、ある程度の許容範囲を超えるとストッパーが効いて全く行動できなくなるようです。世の中にはこのストッパーが付いていない人もいるようで、生活すること自体が困難になるまで頑張る人がいます。
 

 

タチの悪いことに、そういう人に限って努力と精進の賜物が自分の一部であり、それ無くしては自分が維持出来ないと思い込んじゃっていたりします。大抵は若い人です。親や教師の期待と同級生やその保護者の羨望の眼差しを感じれば、手を抜くこともできなくなります。
 

 

優等生的な人ほど、または断れない人ほど、本人が気づかないうちに疲弊していたりするものです。
 

例えば、小中学校の合唱コンクールの伴奏をいつももらってくる子がいました。少しだけですが、生徒さんとしてお付き合いさせていただきましたけど、決して楽譜を見てサラサラと弾けるわけではないのです。白鳥が水面下で一生懸命脚を動かして水面を進むが如く頑張りますが、学校の先生にはそのバタバタ努力している姿は見えません。キチンと期間内に練習して合唱コンクールの練習に間に合うように仕上げてくる、大変便利な人と認識されて、次からもあてにされるようになります。
 

ピアノコンクールで頑張る子も同様です、入り口は割と簡単に金賞が取れたとしても学齢が進むとそうは容易く好成績が取れなくなってきます。コンクール参加、または上位者になることに興味がある保護者の方や指導者がいる環境でピアノを習うと、楽しいとか弾きたい曲に挑戦する、ではないことのためにピアノを練習するようになってしまうかもしれません
 

終わりの見えない努力と報われない努力の強要は、大人でも逃げ出したくなるものです。
 


 

とは言え、頑張ることや我慢することが人生にとって必ずしも害でないのが難しいところです。スタンフォード大学で行われた有名なマシュマロ実験https://ja.m.wikipedia.org/wiki/マシュマロ実験
 

目の前のマシュマロを我慢して食べなかったらご褒美にマシュマロが2個もらえるというゲームで、マシュマロを我慢できた幼児は将来社会的に成功する確率が高くなるという追跡調査が得られたという心理学の実験です。この実験結果のお陰で、幼児期においてはIQより自制心の方が有用であると言われるようになりました。
 

しかしながら、これは幼児期の話なので、一番我慢を教えるのが難しい時期に忍耐力を教え、人の顔色を見て行動できる賢く我慢強い子に「他人の価値観のために頑張らない」ことを教える、のは手こずりそうではあります。けど親や学校の先生と違って、ピアノの先生は一歩引いた目線で接することが出来るかもしれないので、ピアノのレッスンプラスαですけど、子供達の様子を見守もっていきたいと思います。
 
 

大人の生徒さん…皆さんとても優秀で、こっちが見守ってほしいくらいです。年賀状の話に戻って時いますけど、文面的には「昨年同様ご面倒をおかけしますが今年も変わらず宜しくお願い致します!」って感じですね。
 

大人のリトミック

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私ごとですが、ある中堅通販化粧品メーカーのインタビューを受けました。商品開発者との対談を会報誌に乗せるのだそうです。
 

スタッフ数人とヘアメイクアーティストとプロのカメラマンが待機していたホテルの会議室は、簡易フォトスタジオが組まれていました。化粧品の会員向けの機関誌なので、会員様が凹む様な写真は使えないから、キチンとお金をかけて撮影をするらしい。私と研究員の方は、ちょっとしたモデル気分で写真を撮られてきました。
 

ところで、その場にいた女性スタッフの方が「リトミックって難しいですよね。」と私に話しかけできました。私の情報はなんとMYMUSICのホームページで下調べをしてきたらしい。それで高校生のときレッスンを受けたリトミックを思い出したのだそうです。その方はスタイルも抜群で、いかにもという雰囲気が漂っていました。やはりクラシックバレエを踊られているのだそうです。
 


 

平たく大雑把に捉えると、リトミックは「音楽的な感受性を持つ肉体を得る」ためのメソッドです。楽器を持たずして音楽を体感できるため、クラシックバレエなどを踊る人は音楽の基本的な要素、拍子、拍節、リズム感を鍛えるために、リトミックのクラスを受ける事があります。ロシアの名門ワガノワではリトミックのクラスが併用されているくらいです。
 

その様に考えるとリトミックは乳幼児だけでなく、「人生のすべての段階でリトミックは必要とされる」というダルクローズの言葉が理解できます。老いも若きも、音楽経験なない人も高度な音楽技術をすでに持っている人にも有用であると…
 

音楽大学など高度な音楽教育を受ける過程において、リトミックが必要とされることがあります。また、バレエダンサーに代表される舞踏家や舞踊家、演劇やパントマイム等々の舞台表現で音楽的な感性を必要となった時、楽器演奏の習得なしに音楽を学ぶことができるリトミックは有用だったりします。どちらのケースも対象年齢は高くなって来ます。
 

特に音楽家の場合は豊かで鋭敏な感性を持っていたとしてもそれを表現する技術がなければ演奏に繋がりません。高度な音楽教育を受けている過程の学生の中では、感じるものを表現するための「演奏技術」に合わせて、大きな筋肉を使って体全体を動かす事によって「感情を外向させる訓練」が必要な人もいるのです。
 

リトミックは、「即時反応」「即興演奏(キーボードハーモニーを含む)」「リズム運動」を単体でまたは組み合わせてレッスンを行います。
 

例えば、オノマトペonomatopée(オノマトペとは、効果音や動作などを文字で表記した擬音語、擬態語の総称。 )を使って即興的にイメージを動きにして表現する。擬態擬音語は4文字ですので、4拍子になりますね。
 

例えば、雨の音「ザーザー」の隣で、晴れた日の「ぽかぽか」のイメージをぶつけてみる、次の人は…みたいに表現を重ねていくと、視覚的に面白いものができてくるかもしれません。擬態語擬音語を即興で歌いハーモニーを作る事も出来ます。舞台的演劇的な訓練にもなります。演奏家にとって演劇やパントマイムの勉強は有意と言われています。やり方によっては音楽学校内のリトミックのクラスでその代用が出来るのです。
 


 

楽器演奏の習得とリトミックが違うところは、乳幼児からリトミックを習い続けて大人になってもレッスンを受けているという人が皆無ということです。
 

楽器演奏の習得は子供から初めて大人になって続けていて、楽しみの内容や興味のあり方が変わっても、同じ楽器を弾くことをしています。が、
 

リトミックの場合、乳幼児のリトミックは健やかな心身の成長を促すものとして期待されます。子供からのリトミックは乳幼児よりもっと音楽的に高度なレッスンになりますので、高次脳機能の発達が期待されます。さらに大人になってからのリトミックは、専門分野に対してのフォローアップが期待されるのです。
 

専門的なリトミック教室の場合、小中学生の指導ができる優れた教師が在籍していることがあります。学齢が高くなると、教師に優秀さが求められるのはなぜなのか。
 

例えば、ピアノの即興演奏を聴きながら1小節遅れでリズムカノンをする、ポリリズムを経験してもらう、教師が合図を出してステップ(足)とクラップ(手)をチェンジする、等をしてもらうためには、教師が混乱せずにタイトにリズムを演奏し続けなければなりません。しかも音楽的にきちんとした即興演奏の中で。その為非常に高度な技術を要するのです。

 

この様な高スペックな教師は都内の専門機関か留学でしか育ちません。しかもなりたい人がすべてなれるのでは無く、得手不得手などの「ふるい」にもかけられてしまいます。高スペックな教師不足が乳幼児以降でリトミックを続ける人が少ないことの要因の一つかなと思います。
 

高度な演奏技術とそれを保持する鍛錬、教材研究と指導内容の組み立てを日夜研究することになりますが、学齢を重ねたレッスン生の需要が少ないことや大人クラスの場合は、生徒様の専門分野やご要望に合わせての指導となりますので、想像力と幅広い教養が必要となります。音楽教師側に立つと「苦労の割に儲けが少ない分野」ということになってしまいます。またバレエ学校や教室など舞踏を専門に指導する指導のケースでは、教師自身の身体能力も多少は要求されるかもしれません。
 

乳幼児対象のリトミック以外、「需要無し」で「教師無し」で「社会で認知されていない」となれば、「人生オールステージのリトミック」はなかなか世に広まりません。大学で高度なリトミックを経験した者のひとりとしては少し寂しい気持ちになります。
 

が、これからの高齢化社会、身体機能や高次脳機能を保ちながら年齢を重ねていくのかは切実な課題です。認知症になってから音楽療法としてリトミックを体験するのでは無く、その前の段階でリトミックを経験し、楽しくQOLを維持するサークルや教室などができればいいのにと考えるのですが・・・
 


 

リトミックは、体験学習的で特に予習復習しなくていいし、筋肉もつかれず、それでいてストレス発散もできるし、習熟度が関係ないので、初心者でも気軽に参加できます。
 

地域の体育館などで、ベリーダンスやフラダンスみたいに、リトミックの「熟年層の教室やサークル」が出来てくれば、リトミックの認知のされ方も変わるのではないでしょうか。「大人のリトミック」、スペースのある教室をお持ちのリトミックの先生方が、乳幼児の教室と並行して挑戦してみたらいいのにと思います。
 

秋も深まりましたね。紅葉のシーズンになりました。

リトミックについて

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リトミックという音楽メソッドが広く知られるようになって数十年経過し、すっかり幼児教育や保育の現場に浸透してきたと思います。
 

 

日本国内では、0歳児から可能で平たく言えば『情操教育』、『音感教育』、『運動機能訓練』三位一体の一貫した指導システムとして、開発された教育法と謳われていることが多いのようです。
 

 

リトミックの創始者ダルクローズは、自身が教鞭をとったジュネーブ音楽院の音大生達の「音痴」を嘆いてリトミックを考案したわけなので、そのメソッドを幼児の音感教育みたいなものに使うとは、物凄い曲解をしているみたいですけど、良く言えばリトミックは幅広い専門分野に対応できる、柔軟性のあるメソッドと言えます。
 

 


 

 

リトミックとは、「音を聞き、それを感じ、理解し、音を組み合わせて音楽を作ることの楽しさを身体表現をすることによって視覚化し、動くことによって身体全体で味わわせ、その喜びの中で、音を出し、奏で、そこから旋律を作っていくことへの興味と音感を育くむ…」なので、それをちゃんとやろうとすると、音楽専門家と舞踏家のコラボが必要となり、0歳児は出る幕がありません。
 

 

実際、このような思想を舞踏の世界で実験的に取り入れて、舞台にかけられることがあります。プロの作る舞台はそれはそれは見応えがあります。不恰好で不細工な音楽家を舞台に上げるのは失礼極まりなく、洗練され研ぎ澄まされた肉体を持つであろう舞踏家が表現者となるわけで、演出家にリトミックの素養があればそれで良し…となるはずです。
 

 

そう考えると、リトミックとは音楽の分野かどうかも怪しくなります。そういえば最初に輸入してきたのは歌舞伎の人ですし…
 

 

リトミックの姿形は、人々が必要な分野だったり興味の在り方に対応し、どんどん進化と変形を遂げられる「シンゴジラ的なメソッド」のようです。
 

 

ですから、ママと赤ちゃんや幼児期のお子さんが楽しむために、リトミックの一部分を拡大して、本来は無かった内容もてんこ盛りにして、リトミック教室として世間に出店している現状も「あり」ということになります。
 

 


 

 

私の在学中、大学内のリトミック専攻の先生方は、反論する学生を地獄に落とすために「それはリトミック的でない」なんて言葉を使っていましたが、先生方はリトミック論争することはありませんでした。血を血で洗うような論争になるのが目に見えているからです。
 

 

「幼児教育専門」の先生とジュネーブ生粋の「身体表現有りき」の先生、ダルクローズと同じ「作曲家」の先生(一番平和)が、なんの打ち合わせもなく、学生を指導していたので、なかなか学び辛い環境でしたが、このような争点がわかってくると、先生方の人間模様と派閥争いを楽しむ余裕もできました。
 

 

リトミックは「芸術」か単なる「教育法」か、で揉めている学内では、何かに特化したリトミックを学ぶには至らず、卒業した面々は色々な分野に散っていきました。小中の教諭、特別支援学校の教諭、大手リトミック教室、一般企業、音楽療法師、作曲家、演出家、声楽家、キーボードプレイヤー、等々
 

 

自分が体験したリトミック、なんの効用があるのかサッパリわかりませんでしたが、それこそがリトミックの本質なのかもしれません。幅広い分野を網羅しているため、何かにヒットしてその能力が開花する可能性があるかもしれないからです。
 

 


 

 

0歳児からのリトミックの場合でも、音感はダメでもリズムに乗って馬鹿踊りができる(舞踏的な)、とか即時反応に慣れて活発そうな子になった、とか。…少し辛口な言い方かもしれませんが、長年の修練の上に鋭敏に研ぎ澄まされた芸術家や10代前半で大人と同じ価値観で物事を観れる早熟なアーティストからすれば、リトミックとはその程度のものなのかもしれません。神からのギフトがある人は、リトミックを経験する必要なく次のステップに上がってしまうからです。
 

 

ですが、私を含め人口の大部分を占めるであろう「凡人」にとって、リトミックはギフトになる可能性があります。リトミックをただ漠然と経験するのではなく、「何のためにリトミックを経験するのか」はっきりした目標を持つだけで、リトミックはその人にとって特別なメソッドになるからです。
 

 

例えば・・・
 

 

音に対して即時反応する訓練によって「集中力が高くなる」、音楽や効果音を身体表現することにより「思考を行動化できるようになる」、ポリリズム(複数のリズム)をクラップ(手)とステップ(足)で表現することによって「体を上手に操れるようになる」、集団での学びで「社会性や協調性が身につく」等々。
 

 

懸念はあります。一般的な幼児期のリトミック教室では自己発信する機会が少ないのです。音楽に合わせて「歩く止まる走る」をしたり、音楽を聴いて「踊りや手遊び」したり、音を聞いて「他にかの動物の真似をしたりする」ことは、先生なり誰かの与えた刺激によって反応することばかりで、主体的に情報を発信する立場には慣れないからです。
 

 

本来のリトミックは「即興演奏」「リズム運動」「ソルフェージュ」の3本柱でリトミックは成り立っています。即興演奏をすると、被経験者が情報を自己発信することになるのですが、即興演奏を謳っているリトミック教室はほぼ皆無です。「ピアノを聴いて、ぞうさんになってください。」、の後でいいから「ぞうさんの音楽を一人ずつピアノで弾いてみて、それをみんなで動いてみましょう!」とレッスンが続くとリトミック的には完璧だと思います。
 

 


 

 

MYMUSICの阿佐ヶ谷教室では少人数のグループレッスンもしています。ちょっと広めの空間を生かしてリトミックも行っていて、おかげで教室内では生徒さんの数だけの「ぞうさん」「宇宙人」「海洋生物」等など・・・が生まれてきました。ご興味のある方はぜひ阿佐ヶ谷教室にお越しください。(個人でも白鷺教室でも、リトミックをレッスンにとり入れることは可能です。)

 

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