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活動情報

コラム

敬愛する先生との即興演奏

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

中央線沿い「阿佐ヶ谷教室」もご贔屓に!

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コラム欄でボディテクニックの先生、S先生とA先生のことを書かせていただいたことが、原因なのかわかりませんが、不思議なことにS先生の夢を見てしまいました。先生振付の舞台を観ている場面でした。先生はお元気そうでしたが、夢ではチラッとしか出て来られませんでした。妙に気になっていたところS先生から書面が届きました。なんと新作公演の発表を知らせるものでした。セレンディプティか・・・
 

S先生は「国立音楽大学 教育音楽科」のR(リトミック)科の1年次の必修科目であったボディテクニックの先生として教鞭をとることになり、それから定年を迎えるまで、後進の育成に力を注がれて来ました。
 

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『牧神の午後』(1912)のニジンスキー

 

ことのはじめは、アメリカからリトミックの講師を招いて数ヶ月授業をしていただいたことでした。彼は、担当したリトミック専攻の学生たちの「あまりにも肉体の感受性が低い」ことに驚愕されて、パフォーマンスの基礎訓練の必要性を説いて帰られたことから、バレエダンサーであり国立音楽大学の作曲家卒業の経歴を持つS先生が講師として招かれ、ボディテクニックの授業が始まったのです。

 

S先生は見た目も美しくまるで貴公子のよう・・・本当に白タイツで正真正銘の王子様として踊っていたわけで、音楽関係者の男性陣の中で稀有な‘完璧な肉体’を備えていたため‘掃き溜めに鶴’状態、人気急上昇でしたが、講義内容は情け容赦ない厳しいもので一回の授業で3、4日間寝たきりになる人も続出。ピアニストに対しても人使いが荒く・・・かどうかわかりませんが前任者が辞めてしまい急遽学生アルバイトで私が講義の伴奏を務めることになったのです。

 

S先生はお父様が日本のモダンダンスの創始者の一人とされる重鎮で、先生自身はモダンも踊れるクラシックバレエのダンサー、しかも振り付け演出も手がけるサラブレットなので、いくら縁のある大学とはいえ、ど素人に*1‘教え’をするのは忍耐の二文字に尽きたようでしたが、先生のそのキャリアのおかげで、学生たちは幅広いジャンルの‘動き’を大変論理的に整頓された状態で学ぶことができました。ひどい筋肉痛を伴ってですが。
 

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上半身裸で舞台上でスポットライトを浴びることが許される・・先生がそんなに美しかったら、相当の筋肉痛にも耐えられるというものです。

 

フロアトレーニング(床に仰向けになった状態)に、腹筋背筋柔軟と休む間も無く、やっと起き上がって、この日のメインの内容が始まります。
 

惰性を使った動き、体の中心からの動き、先端からの動き、5つのジャンプ(ジャンプは5種類あります、両足ジャンプ、片足ジャンプ、両足着地、片足着地を組み合わせると5種類です)、ピアノの音に反応して即興的に動く、古典舞踏、民族舞踊、等々・・・
 

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ピアニストが大変なのは、自分のペースで弾けないことです。動きに合わせるだけでなく相手の能力を予想したり、または先生が教育的に望んでいる動きができる速さを考慮したりして、テンポや音量音色を決めるのですが、疲れたからやめたいはできないのです。もちろん勝手にテンポが変わったり、つまづいて止まったりはありえないことです。

 

 

しかも、普通に楽曲を弾いていたらありえないことも起こります。全部フォルテッシモで弾き続けるとか・・例えば「ピアノの音に反応して即興的に動く」のお題は『怒れる巨人』と『水に揺らぐ水草』。水に揺らいでいる方は激流や滝のように流れ落ちる音も弾きますが、水が澱んで滞留したり、超静かな流れを混ぜて適当にお休みも可能です。問題は『怒れる巨人』。巨人が怒り狂って暴れまわる、怒りは天井に、床に、周囲の壁に向かって激しくぶつけるというイメージです。先生の気がすむまでやらされます。

 

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音楽大学の学生は全般におとなしく内向的なので、体全体で何かを発散しろ!と言われてもヘラヘラしていますので、先生がお手本を見せたり、目を瞑らせて外からの刺激を絶ったり、恥ずかしさを払拭させてから、まず全員で動きます。それから数人ごとのグループに分けて動きます。それぞれグループが終わるたびに「疲れた、頭ぐらぐらする・・」を連発。私は先生の見本からノンストップで弾き続けなくてはならないのです。最後に再び全員で巨人を舞って、終わったら休憩挟んで次のコマで同じ内容の授業、最初からの繰り返しが始まります。この即興演奏の難しいところは、ピアノの弾き始めからパフォーマー全員の動きがピタッと合うこと。不思議な現象のようですが、ちゃんと仕掛けがあります。
 

重労働のため筋細胞がものすごいダメージを受けるようで、小指の先からものすごい筋肉痛でほとんど怪我をしているくらいの感じですが、一週間後にはこの講義の復習をするため、同じ演奏をしなければなりません。
 

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ああ、、ワルツステップ。華麗に踊れなかった思い出が・・・

 

もっと大変なのは、「手先からの動きが全身に及んで大きな動きになる」。小さな微細な手の中波がだんだん大きくなって肘を揺らし最後は全身でドンブラコ・ドンブラコ・ドンブラコ・・・いつまでもドンブラコ・・・揺れはピアノの即興がリードしていてすごく難しい即興だし、ドンブラコはなかなか終われない。最後はだんだんおさまって小さな波でおしまい・・なんですが。
 

で、私は音量が出るそうで、「どんなクマが弾いているかと思ったら長尾さんだった。」とか言われたりしますが、それなりに鍛えられていたんですね。っとS先生の授業と共に、その時の辛苦を思い出したりしました。いえいえ、冗談です、本当はS先生の下での即興をとても楽しく弾かせていただきました。気持ちが伝わっているのか、その当時の学生さんから、もうずいぶん前のことなのに、「先生の演奏が大好きでした。」なんて言われたりして一人悦に入っています。
 

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*1「教え」=先生をすること、いわゆるバレエ用語で「教えをする」・「教えに行ってくる」・などの使い方をする、教会や聖書とは全く関係がない)便利なので私も家庭内で使っていたりします。例「今日は阿佐ヶ谷で教えがある」
 

そうそう、阿佐ヶ谷教室は広いので即興演奏でいっぱい遊べます。体験レッスン無料期間中に是非いらしてくださいね!!
 

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音色や響きを作ることにチャレンジしよう❗️


 

同じ楽譜を弾いているのに、全然違うように聴こえる、とか同じ楽譜を弾いているのに全然違う曲に聴こえる…良い意味でも、または残念な事も。うーん、良い曲だと思ったのに、自分が弾くとなんでこんな風になっちゃうのかな?っていうのは有りがちですよね。
 

生まれ持った体格や運動神経等どうしようもない事で縛られる部分も結構ありますが、もっと手が大きかったら、とか無いものねだりしても仕様がないので、今ある機能を高める工夫をするしかないですよね。
 

脳の使い方や見る力の強い人は、苦労しなくても初見は早いですが、遅い人は速そうな人のマネをするだけでも早くなったりするそうです。実際初見力の早い人に初見奏をしてもらって、目の動きや視覚からの情報をどの様に体に伝えているのか、観察するだけでも、良い勉強になります。
 

話は変わりますが…
 

今年の夏から、クリスタルボウルを習うことになりました。クリスタルボウルというのは平たく言えば打楽器です。水晶の器を鳴らします。最初、気楽に演奏会を聴きに行っただけでしたが、演奏することを勧められました。実際音を出してみると面白い楽器です。鳴らし方は、とりあえず叩くと擦るです。適当に叩くとカツン!と酷い音がしますので、修練が必要みたいです。
 
成功してコーン!というなり方をした後、かなり長く響きが残ります。その後マレットで擦ると1分ぐらいは音が伸びるそうです。高度な技は色々あるそうですが、入門コースはここで終わりでした。この楽器に特有の残響を上げる、落とす、広げる、というような、音の響きの方向性を意識したら、ピアノの音色も、また違う視点(聴点かな⁉︎)から感じることができそうです。
 

どうでしょう?ちょっと意識するだけなら、指が早く動かなくても、難しい技巧ができなくても、とりあえず今日明日にでもできそうですね。
 

横浜のレストランに有った、オルガン?かな。どんな音が鳴るのでしょう。


 

 

勿論、人に聴いてもらって共感を得てもらえるのが演奏の醍醐味とも言えますが、まずは、自分が良い音だなぁと、気持ちよく演奏出来ることを目指すのも大切です。たとえ素晴らしい演奏と褒め称えられたとしても、弾いている本人が苦しいだけだと、演奏を続けていく気持ちになれませんよね。
 

自分がまず気持ちよくなれる様に、また人にも心地よさが伝わる様に、立ち止まって響きに感覚を置いてみる習慣がつくと良いなぁと思います。
 

演奏する事の意味

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先週で終わったドラマですが、ピアニストとサラリーマンの夫婦が養子縁組する話が放映されていました。主人公がピアニストなので色々考えさせられたり、それはちょっと・・・と思ったりしながら、結局最後まで見てしまいました。
 

ピアニストの妻は、コンクールに落ちまくっていて心根が腐ってきているという設定。由緒あるピアノコンクールには年齢の上限があるのですが、それに差し掛かりそうな年齢という事らしい、私自身はそこまで頑張ってなかったのですが、確かに30代のピアニストが、受けるコンクールがなくなってフリーター状態になり、鬱になったり引きこもりになったりする話は、何処かで聞いた事が有るような無いような…
 

生徒を教えていても、反抗的な態度を取る子供の生徒にイライラを募らせトイレで叫ぶ毎日。
子供という生き物は、常にご機嫌でいたい性質なので、不貞腐れたり愚図ったり反抗したりする時は、相当疲れているか頭の中がいっぱいいっぱいか、その両方で疲弊している時、そんな相手を目の前にしたいい大人が被害者面するなんてとんでもないと思うのですが、こういうピアノの先生もそこら辺にいそうです。
 

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主人公は、普通にピアノを勉強していても中々届かない夢、オーケストラとの共演ですら、不貞腐れてつまらなそうです。音楽を続けることに協力的な夫にも「もうやめたい」と言いそうになっています。
 
 

もともと、ピアノコンクールは若手の登竜門として育成の手助けとして存在しているわけで、コンクールに入賞できなかった人を世の中から退けるためのものでもなく、最近はプロ、アマの垣根を越えて年齢制限のないコンクールもあります。つまりは人材育成や才能のある人の発掘のためのもので、主人公のように、すでに演奏家としてデビューしている人が勉強の一環として受けて、ファイナリストになれないことも結構あるので、コンクールに受かることばかりに執着するのも変な話です。
 
 

自宅のレッスン室は全く防音を施していない状態で新品同然の「sigeru kawai」のピアノ。YAMAHAでなくKAWAIのグランドピアノがドラマで使われていたのも驚きです。最近特にブランディングに頑張りだした「sigeru kawai」。いい宣伝になります。お粗末なレッスン室で音がだだ漏れだったせいで、浮浪児がピアノの音に惹かれて自宅の庭に現れるところからストーリーが展開します。結局主人公は、「体裁のよい言い訳」を見つけて自分の目の前にある音楽や楽器と格闘することから去ってしまいます。
 
 

この主人公が、暗い顔をして呟くシーンがドラマの冒頭にありました。「私が演奏することに意味があるのでしょうか?」
 

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大人の生徒さんで、「自分は学びや発見が楽しいので、発表会で演奏するのは二の次なんです」という方もおられます、少数派ですが。ほとんどの方は‘弾きたい派’です。ちょうど発表会の前に始まったドラマでしたので、感化されて「私の演奏に意味があるんでしょうか?」なんて生徒さんが言い出したら発表会が成り立たなくなっちゃう!!って焦ってしまいましたが、事なきを得てよかったです。
 

私も何年か前から師事しているA先生にソロリサイタルを行いように勧められています。先生の誘導に従って譜読みし小さな本番を重ねているうちに。恐ろしことにレパートリーができてきました。今までジョイントリサイタルばかりだったので、一人でコンサートをすることになったら、結構な人数の知り合い知人が駆けつけてくれそうです。
 

「私が演奏することに意味があるのでしょうか?」
 

それこそ、音楽大学の教師として席があったとしても、コンクールで一緒に受ける方はコンクールプロみたいな院生に揉まれていた経験もあるので、自分よりも若くて勉強して技巧がうまい人は星の数ほど見ています。
そんな中、先日A先生が他2人の方とジョイントリサイタルをすることになって、自分の生徒さんと聴きに行きました。相変わらずというのか、演奏のスケールが大きく、音がうなるようで、倍音の響きが半端ではない!他の演奏家の方も素晴らしいのですが、音色がクリアで、最初の1音弾いただけで、もう存在感がすごかったです。
 

ご一緒してくれた生徒さんもとても感動していました。「A先生のソロだけでもっと聴きたかったです。」と言っていました。
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A先生の元に演奏後ご挨拶に行きました。A先生から「長尾さんのリサイタルもこの会場がいいのではありませんか?」と言われてしまいました。素晴らしいA先生の演奏を聴いた後で「私が演奏する意味があるのでしょうか?」。ところが一緒にいてくれた生徒さんが「先生(私のこと)もソロでリサイタルやればいいのに、聴きたいです、なんでしないんですか?」と聞かれました。
これはこれ。それはそれ・・ということで、どうも別腹らしい・・・
 

意味なんて難しいことを考えなくても、とりあえず弾きたかったら会場を取って練習すればいいのでしょう。期限を切らないと練習もはかどらないし・・私の場合は応援してくれて楽しみにしてくれている人がいるので、それに答えたいというところが結構あるのですが。

 

例のドラマは、‘アラフォー目前にしてお腹の大きな奥さんを抱えたプー太郎の主人公の弟’が「調律師になる」と宣言して終わりました。一家の大黒柱になる人が家族を置いて無給で何年修行する気なんでしょうか・・・無理っぽい話で終わりました。音楽やピアノに関してはリアリティがあるような無いようなドラマでした。
 

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緩ませるに関連して

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楽器演奏をする学生は、学校の体育の時間以外は身体を動かす機会に恵まれないケースが多いのですが、多くの時間を割いて無闇矢鱈とスポーツに興ずるのではなく、効率的に動きの種類と動かし方をまなぶ機会があれば、一生参考になると思います。どう身体を使うと、生命が宿った様に見えるのか、またはメカニックな動きになるのか、外から力が関わって動かされた、のか自分の意思で動いている様に見えるのか。などはボディテクニックの前任のS先生が体系的に学生さんにお伝えしていました。 

ここからは、国立音楽大学のリトミックについての話が中心になりますので、興味のない人は飛ばしてください。
 

(国立音楽大学ではリトミックで身体表現に出会う人もいるのかもしれません。が、指導陣はシンパ的な学生やリピーターの卒業生に声が大きいだけで、学内外の演奏科の先生方からは、存在感がなく黙殺される存在でした。存在が知られていないこともありますが、演奏にプロとして携わる人にはリトミックが演奏を向上させるということに対して説得力がないのです。
 

今はコース制になり大分変わってきました。が、リトミックが専門の先生方は、熱心なリトミック科内の学生とリトミックに興味があるがリトミックを知らない学生の時だけは威勢が良かったのですが、リトミックに興味が薄い術科の先生や事務方へのアプローチがなく、または学内行事に非協力的でした。なので一時期は多くの学生で賑わった「国立音楽大学 リトミック専修、(旧 教育音楽科二類)」はどんどん規模を縮小せざる終えませんでした。
 

私のゼミの先生だった方は、今でも短期の講習会などで「昔はこのリズムのステップはこんな風だったけど、今の流行は違います。」とか枝葉のような内輪ごとを得意げに話しておられたそうですが、短期間の講習ならなら大きく中心に通っている道筋を示して、受講後も受講生が自己のケアができるよう勇気を与えるような授業をするべきだと思います。やはり私が学生だった時も、卒業後にリトミック教育者として独り立ちできるような授業はおこなわれていませんでした。)
 

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・・・・といろいろあって、長く国立音楽大学のリトミック部会に携わった私ですが、自論は「リズム運動のことは舞踏家に聞け、ソルフェージュのことは作曲家に聞け、即興を含めた演奏のことはその道のプロに聞け」になりました。
 

太極拳の先生と同じようなこと、運動の記憶は刷り込んで刷り込んでも忘れるというのは同じくボディテクニックのA先生の口癖の様な気がします。そして奇跡の一回が起きたということは、二回目も起こる可能性もあるから大進歩だともおっしゃられていました。A先生は中国の芸術や舞踊にも明るく、クラシックバレエのレッスンをしながらも常に緩める方向に身体を向かわせるという、大変高度な授業をされていました。中国にも何回も渡航されていて、バレエ以外の中国舞踏や太極拳にも精通されていたのか、太極拳の先生とA先生は、教え方に共通点がありそうな気がしてきました。
 

A先生S先生は音楽に精通されていて、プリンシパルまでなられたバレエダンサーで、現在は後進の指導に芸術監督、振り付け、と多方面にご活躍です。こういう先生に出会えたことは本当に幸運ですし、縁あって授業をされて受けられた学生さんは、生涯に渡り参考にできると思います。
 

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バレエ、本当に美しい肉体を表現しますよね。

 

実際には、こういう先生には中々出会えません。しかし最近MYMUSICの子供達は、ピアノと水泳、ピアノとバレエ、などお稽古ごとを幾つか抱えて忙しくしていたり、大人の生徒さん方も、やはり合唱やヨガ、家庭で出来る簡単なストレッチや体操をされていたり、強者ですと長距離ランナーをしていらっしゃる方もいます。
 

色々なところにアンテナを張っている方が、一つの事に集中し過ぎるよりも、応用が利いて楽に楽しく勉強できるのかもしれません。ピアノでは使わない大きな筋肉運動を経験するのは、ピアノにも健康にも良いことばかりです。
 

そういえば楽器演奏は運動系の記憶が物を言いますので、どうしても繰り返し練習が多くなります。「奇跡の一回が起きたということは、大進歩」というA先生の言葉を思い出すと、ピアノの練習をしていても救われた気がします。
 

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この子はコッペリアですね。

 

勿論S先生も高みにおられますがですが、さらにA先生は受講者の傍に寄り添っておられ、受講生が楽しく笑いがないところにレッスンの意味がないとも言われていました。A先生の気さくな人柄が、クラシックバレエという厳しい芸術を進むことを、切り立った山の山頂に登るような作業に感じさせないのでしょうね。時には‘周囲が凍りつくようなダジャレ’を連発させながらも明るく笑いが絶えない授業をされていました。私はボディテクニックだけのおつきあいでしたが、先生ご自身のバレエ教室やプロのダンサー指導でも同じようなレッスンをされているのが想像できます。自分を一教育者として振り返った時、本当に及ばない領域を見せていただいたんだなぁと思いました。
 

「脱力」と「緩める」の違い


 

私は国立音楽大学のリトミック専攻の学生でした。リトミックを長じて学んでいても、一定の気づきが済んで仕舞えば、それ以上の効果が期待できないことは、早々に気がつきました。それはリトミック専従の講師陣が何かしら演奏の専門家でなくリトミックのためのリトミックになっている様に感じられたからです。
 

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対して、リトミック専攻の面倒を見てくださっていた作曲家の先生方、指揮者の先生。大変有能な方もいらっしゃいましたが、リトミックに熱心に関わってくださっています。リトミックの三要素である、リズム運動(舞踏ではない)、即興演奏、ソルフェージュに音楽家が成長する可能性を見出していたのかもしれません。思えばリトミックの創始者ダルクローズも作曲家でした。
国音リトミックの先生方の教則本、シリーズも3巻目になって、ネタが尽きてきたのでしょう。「タコのようにグニャグニャになって脱力してみましょう」なるページが有りました。ピアノ教室でタコの真似なんて事、自分が手本を見せるのも嫌だし自分がしたくない事を他人にもさせるわけにはいかないでしょうって思いました。このように、実際のところ「演奏には役に立ちそうでないリトミックのレッスン」は意外にも多いのです。
 

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またまた前置きが長くなりましたが、肉体が、その振る舞いを崩さず脱緊張する状態を表す良い言葉が見つからなかったので、取り敢えず脱力という言葉を使っていましたが、太極拳のクラスでの特訓で教えてもらった「緩める」という状態は、楽器演奏でも応用が利きそうです。
 

どういうことかといえば、
 

例えば、腕を真っ直ぐ伸ばします。(前方向に伸ばすと分かりやすいかも)その際関節も力を入れて肘も手首も曲がらないようにします。指先の方にエネルギーが集まっている事が感じられたら、そのエネルギーを体感に引き戻してやります。この時の状態が「緩んだ」ということだそうです。
 

腕の見た目は、先ほどと同じで伸びていますが、成る程、関節や筋肉の状態がかなり違ってきます。ピアノを弾くテクニックで、腕や手首を有機的な動きをさせず、一見とても無機的に見える運動をするテクニックもたくさんあります。
 

U先生の手の動き方は意外な程無機的な時が有ります。柔らかく手や腕を使って有機的な動き方をすると、時には瞬発力が無くなったり、無駄な動きが派生するために、素早く鍵盤を移動できない、弊害が時にはあるのです。
 

U先生は、「腕から指先までが太鼓のスティックになった様に、スティックは力が入っていなくてあの形になっているでしょう。」みたいな感じで教えてくれます。これも肉体の振る舞いを変えないで、中が緩んだ状態を話しているらしく、太極拳でもらってきた新ネタを披露すると、成る程納得という感じで聞いてくださいました。
 

この日のレッスンでは、「ただ前屈するより、三回その場回りをしてから前屈するとよく曲がるようになっている。」も実演しました。「その場で回る」という行動と「体を曲げる」という行動が脳内で結びつかない隙をついて前屈するので、体が身構えたり緊張しないらしいのです。先生は「三回その場回りをしてからピアノを弾いたら効果がありそうだけど本番では無理だなぁ」と言っていましたが、生徒さんのトラウマになっているパッセージとかの練習を回ってから弾いてもらうとか、いろいろ使えそうです。
 

人によっては騙されにくい脳の持ち主もいるので万人には効かないらしいですけど。
 

とりあえず「脱力と緩める」の違いを教えてくださった太極拳の先生に感謝です。
 

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