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コラム

大人のリトミック

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

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私ごとですが、ある中堅通販化粧品メーカーのインタビューを受けました。商品開発者との対談を会報誌に乗せるのだそうです。
 

スタッフ数人とヘアメイクアーティストとプロのカメラマンが待機していたホテルの会議室は、簡易フォトスタジオが組まれていました。化粧品の会員向けの機関誌なので、会員様が凹む様な写真は使えないから、キチンとお金をかけて撮影をするらしい。私と研究員の方は、ちょっとしたモデル気分で写真を撮られてきました。
 

ところで、その場にいた女性スタッフの方が「リトミックって難しいですよね。」と私に話しかけできました。私の情報はなんとMYMUSICのホームページで下調べをしてきたらしい。それで高校生のときレッスンを受けたリトミックを思い出したのだそうです。その方はスタイルも抜群で、いかにもという雰囲気が漂っていました。やはりクラシックバレエを踊られているのだそうです。
 


 

平たく大雑把に捉えると、リトミックは「音楽的な感受性を持つ肉体を得る」ためのメソッドです。楽器を持たずして音楽を体感できるため、クラシックバレエなどを踊る人は音楽の基本的な要素、拍子、拍節、リズム感を鍛えるために、リトミックのクラスを受ける事があります。ロシアの名門ワガノワではリトミックのクラスが併用されているくらいです。
 

その様に考えるとリトミックは乳幼児だけでなく、「人生のすべての段階でリトミックは必要とされる」というダルクローズの言葉が理解できます。老いも若きも、音楽経験なない人も高度な音楽技術をすでに持っている人にも有用であると…
 

音楽大学など高度な音楽教育を受ける過程において、リトミックが必要とされることがあります。また、バレエダンサーに代表される舞踏家や舞踊家、演劇やパントマイム等々の舞台表現で音楽的な感性を必要となった時、楽器演奏の習得なしに音楽を学ぶことができるリトミックは有用だったりします。どちらのケースも対象年齢は高くなって来ます。
 

特に音楽家の場合は豊かで鋭敏な感性を持っていたとしてもそれを表現する技術がなければ演奏に繋がりません。高度な音楽教育を受けている過程の学生の中では、感じるものを表現するための「演奏技術」に合わせて、大きな筋肉を使って体全体を動かす事によって「感情を外向させる訓練」が必要な人もいるのです。
 

リトミックは、「即時反応」「即興演奏(キーボードハーモニーを含む)」「リズム運動」を単体でまたは組み合わせてレッスンを行います。
 

例えば、オノマトペonomatopée(オノマトペとは、効果音や動作などを文字で表記した擬音語、擬態語の総称。 )を使って即興的にイメージを動きにして表現する。擬態擬音語は4文字ですので、4拍子になりますね。
 

例えば、雨の音「ザーザー」の隣で、晴れた日の「ぽかぽか」のイメージをぶつけてみる、次の人は…みたいに表現を重ねていくと、視覚的に面白いものができてくるかもしれません。擬態語擬音語を即興で歌いハーモニーを作る事も出来ます。舞台的演劇的な訓練にもなります。演奏家にとって演劇やパントマイムの勉強は有意と言われています。やり方によっては音楽学校内のリトミックのクラスでその代用が出来るのです。
 


 

楽器演奏の習得とリトミックが違うところは、乳幼児からリトミックを習い続けて大人になってもレッスンを受けているという人が皆無ということです。
 

楽器演奏の習得は子供から初めて大人になって続けていて、楽しみの内容や興味のあり方が変わっても、同じ楽器を弾くことをしています。が、
 

リトミックの場合、乳幼児のリトミックは健やかな心身の成長を促すものとして期待されます。子供からのリトミックは乳幼児よりもっと音楽的に高度なレッスンになりますので、高次脳機能の発達が期待されます。さらに大人になってからのリトミックは、専門分野に対してのフォローアップが期待されるのです。
 

専門的なリトミック教室の場合、小中学生の指導ができる優れた教師が在籍していることがあります。学齢が高くなると、教師に優秀さが求められるのはなぜなのか。
 

例えば、ピアノの即興演奏を聴きながら1小節遅れでリズムカノンをする、ポリリズムを経験してもらう、教師が合図を出してステップ(足)とクラップ(手)をチェンジする、等をしてもらうためには、教師が混乱せずにタイトにリズムを演奏し続けなければなりません。しかも音楽的にきちんとした即興演奏の中で。その為非常に高度な技術を要するのです。

 

この様な高スペックな教師は都内の専門機関か留学でしか育ちません。しかもなりたい人がすべてなれるのでは無く、得手不得手などの「ふるい」にもかけられてしまいます。高スペックな教師不足が乳幼児以降でリトミックを続ける人が少ないことの要因の一つかなと思います。
 

高度な演奏技術とそれを保持する鍛錬、教材研究と指導内容の組み立てを日夜研究することになりますが、学齢を重ねたレッスン生の需要が少ないことや大人クラスの場合は、生徒様の専門分野やご要望に合わせての指導となりますので、想像力と幅広い教養が必要となります。音楽教師側に立つと「苦労の割に儲けが少ない分野」ということになってしまいます。またバレエ学校や教室など舞踏を専門に指導する指導のケースでは、教師自身の身体能力も多少は要求されるかもしれません。
 

乳幼児対象のリトミック以外、「需要無し」で「教師無し」で「社会で認知されていない」となれば、「人生オールステージのリトミック」はなかなか世に広まりません。大学で高度なリトミックを経験した者のひとりとしては少し寂しい気持ちになります。
 

が、これからの高齢化社会、身体機能や高次脳機能を保ちながら年齢を重ねていくのかは切実な課題です。認知症になってから音楽療法としてリトミックを体験するのでは無く、その前の段階でリトミックを経験し、楽しくQOLを維持するサークルや教室などができればいいのにと考えるのですが・・・
 


 

リトミックは、体験学習的で特に予習復習しなくていいし、筋肉もつかれず、それでいてストレス発散もできるし、習熟度が関係ないので、初心者でも気軽に参加できます。
 

地域の体育館などで、ベリーダンスやフラダンスみたいに、リトミックの「熟年層の教室やサークル」が出来てくれば、リトミックの認知のされ方も変わるのではないでしょうか。「大人のリトミック」、スペースのある教室をお持ちのリトミックの先生方が、乳幼児の教室と並行して挑戦してみたらいいのにと思います。
 

秋も深まりましたね。紅葉のシーズンになりました。

リトミックについて

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リトミックという音楽メソッドが広く知られるようになって数十年経過し、すっかり幼児教育や保育の現場に浸透してきたと思います。
 

 

日本国内では、0歳児から可能で平たく言えば『情操教育』、『音感教育』、『運動機能訓練』三位一体の一貫した指導システムとして、開発された教育法と謳われていることが多いのようです。
 

 

リトミックの創始者ダルクローズは、自身が教鞭をとったジュネーブ音楽院の音大生達の「音痴」を嘆いてリトミックを考案したわけなので、そのメソッドを幼児の音感教育みたいなものに使うとは、物凄い曲解をしているみたいですけど、良く言えばリトミックは幅広い専門分野に対応できる、柔軟性のあるメソッドと言えます。
 

 


 

 

リトミックとは、「音を聞き、それを感じ、理解し、音を組み合わせて音楽を作ることの楽しさを身体表現をすることによって視覚化し、動くことによって身体全体で味わわせ、その喜びの中で、音を出し、奏で、そこから旋律を作っていくことへの興味と音感を育くむ…」なので、それをちゃんとやろうとすると、音楽専門家と舞踏家のコラボが必要となり、0歳児は出る幕がありません。
 

 

実際、このような思想を舞踏の世界で実験的に取り入れて、舞台にかけられることがあります。プロの作る舞台はそれはそれは見応えがあります。不恰好で不細工な音楽家を舞台に上げるのは失礼極まりなく、洗練され研ぎ澄まされた肉体を持つであろう舞踏家が表現者となるわけで、演出家にリトミックの素養があればそれで良し…となるはずです。
 

 

そう考えると、リトミックとは音楽の分野かどうかも怪しくなります。そういえば最初に輸入してきたのは歌舞伎の人ですし…
 

 

リトミックの姿形は、人々が必要な分野だったり興味の在り方に対応し、どんどん進化と変形を遂げられる「シンゴジラ的なメソッド」のようです。
 

 

ですから、ママと赤ちゃんや幼児期のお子さんが楽しむために、リトミックの一部分を拡大して、本来は無かった内容もてんこ盛りにして、リトミック教室として世間に出店している現状も「あり」ということになります。
 

 


 

 

私の在学中、大学内のリトミック専攻の先生方は、反論する学生を地獄に落とすために「それはリトミック的でない」なんて言葉を使っていましたが、先生方はリトミック論争することはありませんでした。血を血で洗うような論争になるのが目に見えているからです。
 

 

「幼児教育専門」の先生とジュネーブ生粋の「身体表現有りき」の先生、ダルクローズと同じ「作曲家」の先生(一番平和)が、なんの打ち合わせもなく、学生を指導していたので、なかなか学び辛い環境でしたが、このような争点がわかってくると、先生方の人間模様と派閥争いを楽しむ余裕もできました。
 

 

リトミックは「芸術」か単なる「教育法」か、で揉めている学内では、何かに特化したリトミックを学ぶには至らず、卒業した面々は色々な分野に散っていきました。小中の教諭、特別支援学校の教諭、大手リトミック教室、一般企業、音楽療法師、作曲家、演出家、声楽家、キーボードプレイヤー、等々
 

 

自分が体験したリトミック、なんの効用があるのかサッパリわかりませんでしたが、それこそがリトミックの本質なのかもしれません。幅広い分野を網羅しているため、何かにヒットしてその能力が開花する可能性があるかもしれないからです。
 

 


 

 

0歳児からのリトミックの場合でも、音感はダメでもリズムに乗って馬鹿踊りができる(舞踏的な)、とか即時反応に慣れて活発そうな子になった、とか。…少し辛口な言い方かもしれませんが、長年の修練の上に鋭敏に研ぎ澄まされた芸術家や10代前半で大人と同じ価値観で物事を観れる早熟なアーティストからすれば、リトミックとはその程度のものなのかもしれません。神からのギフトがある人は、リトミックを経験する必要なく次のステップに上がってしまうからです。
 

 

ですが、私を含め人口の大部分を占めるであろう「凡人」にとって、リトミックはギフトになる可能性があります。リトミックをただ漠然と経験するのではなく、「何のためにリトミックを経験するのか」はっきりした目標を持つだけで、リトミックはその人にとって特別なメソッドになるからです。
 

 

例えば・・・
 

 

音に対して即時反応する訓練によって「集中力が高くなる」、音楽や効果音を身体表現することにより「思考を行動化できるようになる」、ポリリズム(複数のリズム)をクラップ(手)とステップ(足)で表現することによって「体を上手に操れるようになる」、集団での学びで「社会性や協調性が身につく」等々。
 

 

懸念はあります。一般的な幼児期のリトミック教室では自己発信する機会が少ないのです。音楽に合わせて「歩く止まる走る」をしたり、音楽を聴いて「踊りや手遊び」したり、音を聞いて「他にかの動物の真似をしたりする」ことは、先生なり誰かの与えた刺激によって反応することばかりで、主体的に情報を発信する立場には慣れないからです。
 

 

本来のリトミックは「即興演奏」「リズム運動」「ソルフェージュ」の3本柱でリトミックは成り立っています。即興演奏をすると、被経験者が情報を自己発信することになるのですが、即興演奏を謳っているリトミック教室はほぼ皆無です。「ピアノを聴いて、ぞうさんになってください。」、の後でいいから「ぞうさんの音楽を一人ずつピアノで弾いてみて、それをみんなで動いてみましょう!」とレッスンが続くとリトミック的には完璧だと思います。
 

 


 

 

MYMUSICの阿佐ヶ谷教室では少人数のグループレッスンもしています。ちょっと広めの空間を生かしてリトミックも行っていて、おかげで教室内では生徒さんの数だけの「ぞうさん」「宇宙人」「海洋生物」等など・・・が生まれてきました。ご興味のある方はぜひ阿佐ヶ谷教室にお越しください。(個人でも白鷺教室でも、リトミックをレッスンにとり入れることは可能です。)

 

見えているように動いていないかも

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思った通り身体を動かすためには、まずはその運動をどのように認知するかが大切ですよね。

太極拳の先生がいつも言うのは「人間の体は見えた通りに動いていない」です。(または注意力の欠如や思い込みなどの原因から「不正確な情報をインプットしている」とも言って渋い顔をされるときもあります。)
 

 

 


 

 

 

先日は、観光に行くたとえ話をされて、湖=理想 木=動作の型 として考えると「到達すべき美しい湖(健康体、肉体美)があるのに道しるべとなる木(正しい型となること)ばかり見て(とらわれて)、木と木の隙間から垣間見えるはずの湖を見ようとしない、または湖ばかり見て木を見てなくて、木にぶつかったり転んだり、迷子になる人がいる」のだそうで…
 

 

 

同じようなことか音楽、特に楽譜に沿って演奏するクラシック音楽に言えるかもしれません。楽譜に書かれているたくさんの樹木に囚われて理想とする音楽に辿り着けないような譜読みや練習をしたり、または適当に樹木を飛ばし見て、本来あるべき姿とかけ離れた演奏をする…ありそうな話なので、自分的には単に太極拳だけでなく、色々な意味で肝に銘じるべきことなのだろうと思います。
 

 

 

話が横道に逸れて失礼しました。
 

 

 


 

 

 

聴こえたように弾いていない、見えてるように動いていない、は楽器演奏者として、学習途中で何度か思い当たる経験したことがあると思います。
 

 

 

例えば声楽を長く習っている経験からですが、ピアノでメロディを「歌うように弾く」のを目指して、本当に歌うのと同じにアーティキュレーションをつけて弾くと、あちらこちらぶつけたような音に聴こえてうまくいきません。歌は特にクラシックの声楽は、まず息に乗せてから楽音を発するので、音の立ち上がりがピアノより遅いからです。ですから正しくは「歌のように聴こえるように弾く」なのです。
 

 

 

(歌モノ風の楽曲を弾くとき、音楽的な息遣い‘ブレス’を入れるのや、‘フレーズ頭に子音が3っつくらい付いている歌詞がある風に想像してメロディを弾く’のは、歌を習った経験があるとやりやすいですよね。)
 

 

 

前回のクラスまでで、ちょくちょく太極拳の先生が「見えているように動いていない」と言われたのは、腕の動きでした。太極拳では主に24式という型を勉強しています。動作の中で大きく腕が動いているように見えますが、先生は腕を動かしていないと言われるのです。腕はその場に留まっているのだけど体が動くので、腕が動いているように‘表現される’ということらしいです。耳タコになってくると未熟ながらも本当にそんな気になってきました。
 
 

 


 

 

 

で、ピアノの話に戻ります。U先生のレッスンで腕の旋回がよく話に出ます。ショパンエチュードのエオリアンハープで有名なOpus25−1やプレリュードOpus28−19などに顕著に現れる腕・手の回転です。鉄棒で順手と逆手があるようにピアノの演奏も「順回転」と「逆回転」がありますが、大体において順回転をします。子供の頃にバカみたいに勉強させられたアルベルティバスも旋回を伴いますが、先に「腕を回すのが前提」で演奏すると、「演奏していたら腕が旋回してました」とは全く違う動きになります。ですから「腕の回転が必要です」と言って教えても肘が不自然に動いたり腕が無駄にぐにゃぐにゃして動いたりする人が何割かいて指導に窮するわけです。
 

 

 


 

 

 

これも「見えているように動いているわけではない」または「腕が旋回しているのではなくて、腕の旋回は最後の表れ」だとしたら・・・と考えました。実際、腕の旋回に対しては達人系のU先生の腕の動きは大変コンパクトで機能的です。U先生ご本人は平べったい楕円を描く腕の旋回だと主張しているのですが、腕が旋回していたら、このような一切無駄のないコンパクトな動きにならないと、疑いの目を向けた私は自分の生徒さんで人体実験をしてしまいました。その方は丁度ハイドンのソナタを弾いていて、「3連符の伴奏系(よくあるドミソの繰り返しの様な)が右手左手御構いなしに休みなしに現れて大変」だと訴えます。自分も試してみて調子が良かったので伝授することにしました。「腕や肘、肩を楽にして。5番の指先が鍵盤に対して内側回転するようにタッチしてみて。」すると、自然なモーションで順回転しました。生徒さん自身もコツが掴み易いと言っていました。
 

 

 
小指の先のほんの0.数ミリ程度の感覚です。(そういえば太極拳の先生も、昔のフイルム映画を例えに使って「上映する時スクリーンいっぱいに広がるけど映写機の中のフイルムは小さい、末端で動く同じ大きさで中心も動こうとしないこと」と言われていました。)『小指の先=中心』から『腕=末端』に動きが伝わると認知するとわかりやすく感じられそうです。(動きの中心を本来ならば体の末端にあたる指先と認知するのは意外な感じですけど。)
 

 

 

歌やら太極拳やら、色々雑多に経験しておくと何かに役立つこともありそうです。経験に無駄なしといったところでしょうか。
 

 

 

ピアニストは省エネ人間?!

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年若い生徒さんがピアノを弾いていると一生懸命オーラが全身から放出されます。対して大人の生徒さんはちっとも一生懸命さは見られないけど、とても力を使って弾いているように見えます。その一生懸命さや苦労して力を使う弾き方から解放されたならば、ピアノを弾くこと自体が素晴らしく楽になり、自在に楽器を操れるのだろうなぁと、他人事でなく思うこの頃です。

 

 

 

A先生やU先生の弾いている姿は、実に楽しそうです。本人的には色々とあるのかもしれませんが、一生懸命オーラもなければ悲壮感も苦労臭も漂ってきません。普段から楽々と演奏しているのです。

 

 

 

たとえば、お二人のように、自らが継続してリサイタルやコンサートを行う人は、「怖くて怖くて崖から飛び降りるような心境」で人前でピアノを弾いていないはずです。たとえばジェットコースターだってお化け屋敷だって、お金を払って嫌な思いだけなら行かないでしょう。スリルの中に絶対ワクワクや楽しさがあるから、行ってみたくなるわけで、リサイタルも実技試験と同じ心境になるなら、わざわざ自分で開かないと思うのです。
 

 

 

一回の演奏でお集まりいただいた聴衆に感動し共感してもらうのはとても緊張することですが、それを乗り越えられるほどの、強い喜びや楽しさがあるからこそ、できるのだろうとおもいます。
 

 

 


 

 

 

では、そのためにどのくらい練習したら良いのか。
 

 

 

U先生が読んだショパンの伝記に、基礎練について自身の言葉が記されていたそうです。「練習のし過ぎはいけません」練習時間を短めにするようにと書かれた後に「基礎練は二時間以内に収めること」と書かれていたそうです。リストは「沢山練習しなさい」と言っていたそうで、三時間の基礎練を推奨していたそうです。
 

 

 

昔の上流階級の人は余程やることがなかったのでしょう。一日中練習しても暇を持て余していたようです。「し過ぎないように」が基礎練だけで二時間とは参りますが、現代のお忙しいピアニストが基礎練を二時間しているとは考えにくいし、せいぜい30分(自分の生徒の前では一時間と言ってプレッシャーをかけているかもしれませんが)ではと思います。とりあえずピアノを思い通りに弾くためには、まずはある程度の練習量が必要になると考えるのが普通でしょう。
 

 

 

さて、この様に大事な人生の時間の一部をピアノの練習に捧げ、ピアノ中心の生活を一定期間続けると、人間はピアノを弾くための進化を遂げるのだそうです。…と「ピアニストの脳を科学する」(古屋晋一 著、春秋社)に書かれていました。面白い様な怖い様な。
 

 

 


 

 

 

その本によれば、ピアノの練習を開始する年齢も進化については影響して来ます。
(もともと脳は年齢により向上していく機能と鈍磨してしまう機能があります。変化しながら認知機能は60代で成熟するとの研究もあるので、年齢による見た目の変化くらい脳みそも別人の様に変化していくのかもしれませんね。)
 

 

 

脳の基盤部には白質という脳の神経細胞同士が情報をやり取りするために必要な何百本もの白いケーブルが詰まった場所があり、そのケーブルはミエリンという鞘に収まっていて20歳頃まで発達するそうです。
 

 

 

ピアノの練習を11歳までに始めた場合はミエリンの数が増えるけど、残念ながら12歳以上だと数の増加は見られなかったそうです。では11歳までに始めなかった場合は意味がないというわけでなく、鞘が沢山発達はしなくても、鞘自体が太く大きくなるそうです。(鞘が沢山発達したり太くなるということは、一度に処理できる情報量が大きくなるということです。インターネットと同じです。)
 

 

 

ですから大人になってからの練習は無駄というよりは、子供の頃に頑張った練習は報われるというふうに考えたほうがいいでしょうね。そして同じ内容の情報を処理する場合、ピアノ未経験者は脳の血流が増すのに比べピアノ経験者はあまり変わらない、つまり脳内が省エネ化しているそうです。
 

 

 


 

 

 

「ピアニストの脳を科学する」この本の冒頭十数ページでここまで話が進んでしまいました。残りの二百数十ページで書かれている内容を平たく述べれば、「ピアニストはその弛まぬ訓練の賜物として、全てのピアノに特化した運動や情報処理において省エネを可能とにしている」という事でした。
 

 

 

ピアニストが身体能力だけでなく脳の機能を向上させていると考えていると、ピアノの練習の見方も変わると思います。自分ではとても難しいと感じていたパッセージが楽譜の見方を変えただけで楽に弾けてしまったり、先生のアドバイスを聞いただけで弾ける様になるのは、認知の仕方が変わっただけで、練習の末の筋力や敏捷性のアップなどせいでの身体能力が向上したとは考えにくいからです。
 

 

 

ピアノを弾いていたら頭が良くなったと考えたほうがいいのか、それとも頭のいい人がピアノに向いているのかはわかりませんが、東京大学ピアノの会が名だたる名門サークルだったり、ピアノ・コンクールのアマチュア部門(アマコン)上位入賞者には、高度な専門分野(医師・研究者・弁護士・経営者など)の本職で活躍している方が多いことは、呆け防止や脳トレ目的でピアノを弾くことも、あながち的はずれではないということかもしれません。
 

 

 

とりあえず私は今、これを書きあげてから、20分くらいは基礎練をしようと思っています。
 

 

 

手の大きさに頼らない

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さて、新年会に向けて人々が始動しだしたこの頃、自分も新年会の出し物を考えようかなぁと思い始めました。前回の発表会では、巡礼スイスから名曲「泉のほとり」とイタリアから「ペトラルカのソネット104番」を弾いて涼しみました。まぁ、ペトラルカのソネットは暑苦しいイタリア男の恋の詩に曲が付いたものでしたが。

 

 

 

邦訳は日本人の感覚だと濃すぎるような・・・発表会の時は言語で武富太郎さんに読んでもらいましたけど、イタリア語だととても素敵な響きに聞こえました。

 

 

 

涼しげだったり歌モノに飽きたので、発表会後は4番「泉のほとり」の次の曲、5番「Orage」(邦題・嵐)を惰性で弾いていました。難曲であることばかりで名曲との評が全くないこの曲、ただ単に譜読みが楽そうなので選び、レッスンで見てもらったU先生と二人で「リストはチェルニーの弟子だし、チェルニーがわりのエチュードにちょうどいいかも」となかば馬鹿にしながらも、この頭の悪そうな曲をちまちま弾いていました。が、誤算がありました。この曲を練習していると汗をかくのです。「嵐」・・・これからのゲリラ豪雨や台風シーズンにちょうどいいかと思いましたが…
 
 

 

曲の冒頭からff その後Presto furioso(熱狂的に・荒れ狂って)rinforzando(その音を急速に強く)がいっぱいあって〜 sempre fff〜strinjeno(だんだん早く・だんだんせきこんで)〜sempre strepitoso(騒々しく・強烈な)Cadenzaで少し休憩できるかと思いきや、ad.libitumha右手のアルペジオのみ、主旋律の左はmarcatoだったり。

 

 

 

たいして長くない曲ですが、中間部分に‘休憩タイムがない、最後までうるさい曲’だったことが譜読みしていくうちに判明しました。オクターブの8分音符ばかりで譜読み後も楽そうだったのに大誤算です。少しはダイエットになるのかな・・・?

 

 

 

騒々しく・強烈なところの譜面です。ユニゾンのあとは両手オクターブでアルペジオ。

 

 

 

楽しそうな3度のスケール両手重ねも・・・一見難しそうでも2パターンだけ。

 

 

 

突然マーチみたいになった時の左手が、オスティナート。右手はワンコード、譜読みの嫌いな私から見たら素敵な風景!

 

 

 

9月半ばにA先生のレッスンに行くことができました。今回はリストばかり、ノクターン3番(愛の夢)を加えて、泉と嵐と104番を4曲を持って行きました。情熱家のA先生のツボにはまったのはやはり「Orage」で、早くものにするようにと・・・手が小さいのだからレパートリーにするのはやめたら?と言われるかと思ったのに、ちょっと意外です。
 

 

 


 

 

 

 

バカにしきっていた「Orage」ですが、U先生とのレッスンの中で、実は人間賛歌的な深い情緒があり、楽語の細かい書き込みからリスト自身は結構気合いを込めて書いたのでは・・という結論に達しました。そう言われてみるとヴェルディのオペラのワンシーンみたい・・・急にやる気がおきましたが、すでにU先生は「Orage」に飽きてきてしまったようで、次は絶対新しい曲にして!と言われてしまいました。

 

 

 

ところで先ほどの「新年会の出し物」の話に戻りますが、新年幕開け早々に「嵐」は顰蹙をかいそうなのでどうしようかな・・・とU先生に相談したら同じリストの「森のささやき」がふさわしいと猛プッシュです。「森のささやき」プラス何か(「嵐」でも)だったらまぁ無難ですよね。

 

 

 

話は変わりますが、私は身長150センチないくらい小柄で、手の大きさは小学生にどんどん抜かされていきます。中学生の生徒で私より手の小さい人はいないのです。そんな中、小学3年生のNちゃんが新年会ように新曲を持ってきました。「ラデツキー行進曲」‘ヨハン・シュトラウス1世’の名曲、ニューイヤーに鉄板の曲です。

 

 

 


 

 

 

曲の冒頭と中間部に少しだけですがオクターブのフレーズがありました。Nちゃんはまだオクターブの重音を弾いたことがありませんが、ちょっとだけ挑戦したそうです。うーん届くかな・・・ちょと無理かも。経験のない技巧を無理して長時間練習するのは怪我の元、一晩寝たら手が成長して1オクターブが届くくらい大きくなっているかもしれないからと説得。毎日「3回だけ」弾いてみて、出来そうかどうかを経過観察してもらうことにしました。

 

 

 

お母様もお迎えにいらっしゃって「オクターブのフレーズはまだ無理ですよね?」と尋ねられました。そこで毎日三回のお話をして、「手の大きさに関してはあと数ミリで余裕が出てくるとは思うのですが。」と話していて試しにNちゃんと手を合わせて大きさを比べてみました。ショック!Nちゃんと私の手の大きさがほとんど変わらない。

 

 

 

Nちゃんは「もう来週弾けるようになっているかも!』と急に威勢が良くなりました。実はこの日、私が「愛の夢」の中間部分を弾いていた時にNちゃんがレッスン室に入ってこられたのです。思いっきり聴かれてしまったようで、先生もオクターブ大丈夫なら自分もいける!と思ったようです。

 

 

 

そういえば・・・

 

 

 

今までたくさんの生徒さんをレッスンさせていただきましたけど「私は手が小さいので弾けません。」と言われたことは皆無です。それどころか私が「恵まれた大きさの手を持っているんだから、これくらい弾いてよ!」って冗談めかして言った答えが「先生、何バカなこと言っているの、手の大きさなんてたいして影響ないじゃない。」とだったことがありました(小学5年生に大真面目な顔で)。
 

 

 

 


 

 

 

こんなに小さな手でよく頑張っているなぁと自分の手が愛おしく感じられました。andなんで私はオクターブのパッセージが得意で(あくまでも本人比較ですが)私より手の大きい人でも得意じゃないまたは上手く弾けない人がいるのだろうとも思いました。

 

 

 

よくよく考えたらオクターブは手が小さい人でも届くので、抑えるだけなら手の大きさはあまり関係ないのです。大きな体躯や手を駆使しないと演奏できない楽器が存在している中で、ピアノに関しては、小柄な女性でありながら秀でたピアニストが大勢存在しています。手の大きさに頼らない弾き方は確かに存在しているのです。
 

 

 

ところで雑談ですが、最近急にリストばかりです。今年の春に生徒さんの結婚式で「ノクターン3番(愛の夢)」を弾いたのがきっかけで、「そういえばリストって人がいたわ」と思い出し、そしたら意外と付き合うのが楽だった・・・ということがあります。付き合うのが面倒な相手はショパン(もっと面倒臭い人がシューマン)です。U先生にその話をしたら気持ちはよくわかると言ってウケてました。リストは分かりやすいのが良いです。
 

 

 

こちらも大きくなってきました、生後7ヶ月に入り、とうとう3キロの大台に乗ってしまいました。

 

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