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活動情報

コラム

新年会後半

西武線、[中野区 鷺ノ宮駅]、[杉並区 下井草駅] 近のMYMUSICピアノ教室です!

 

中央線沿い「阿佐ヶ谷教室」もご贔屓に!

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演奏中のTさんとご主人様。ご主人様には写真係と録音をいつもありがとうございます。しかもいつの間にかトーンチャイムの配布係まで定着してしまって・・・


 

生徒さん達の演奏は大事故もなく無事に終了しました。あぁ、私も譜めくりミスがなくてよかった…
 

それにしても今回はネタ?が豊富で前半だけでお腹いっぱいになりました。未就学児から小学生の低学年の生徒さんの演奏って、「メリーさんの羊一発!」の様な一瞬芸的演奏が一人くらいはいるのですが、年少の皆さんが趣向を凝らしてくれて、一発芸はゼロでしたので大人方々がいつも通りのテンポで普段通りに弾けることを強く念じていたのでしたが…
 

神様に通じたのか、緊張する事なくシッカリと弾いてくださいました。皆さん本番には⁈強いです。
 

さて、プレゼント交換会の後の後半は、ミュージックベルと連弾です。ソロの演奏が終わった生徒さんと反比例して私が緊張してきました。
 

ミュージックベルはタッチ式なので、複数のベルを少人数で演奏できます。今回は幼稚園の運動会でピアニカ二重奏で演奏をしたミッキーマウスマーチをそのまんまベルに置き換えてお母様と合奏。猛練習の成果、お母様との息もバッチリ?です。
 


 


 

次は、私にとって本日の最大の難所、直前までナメていて猛どころか、あまり練習しなかった生徒さんとの連弾。コピーの左端切れていて、ト音記号かヘ音記号か分からない恐ろしい楽譜を並べていざ出陣。

Hさん、爆笑しながら体当たりしないでください。


 

途中までそれなりだったのに、終盤で事故発生(私のせいじゃないよ〜)、相方は弾きながら爆笑してるし…あらら。
 

今回のゲストは、ギターの小林さんと朗読の武富太郎さん。
 

クラシックギターについてですが、アンプを通さないクラシックギターは音量が小さいのが特徴です。クラシックギターの演奏会で大ホールを使う場合は生音を損なわない高性能のマイクを使うこともあるくらいです。
 

小林さんのギターは、丁寧な音色作りが特徴です。一音づつ綺麗に発音されるので、ちょっと地味目なクラシックギターの演奏に深みと味わいが加味され、聴く側もシッカリ受け止めようと思わせてくれます。でも、本来ならピアノばかりの会でクラシックギターは音量的に聴かせるのは難しいのです。小林さんいつも素敵な演奏を有難うございます。
 

司会の太郎さんとステージで談笑


 

そして、太郎さんの朗読。皆んなで準備体操をするそうで、私も駆り出されました。
演目は「パガニーニは2度繰り返さない」音楽ネタを探してくれたみたいです。太郎さんの大好きなイタリアの短編集。パガニーニのあまり知られていなかった逸話を語ってもらいました。
 


 

講師演奏はドビュッシーの「喜びの島」。不思議な世界観と後半なだれ込むようにまばゆい光の渦に聴いている方達を連れていければ・・・と思っていましたが、弾き終わった瞬間に、太郎さんが「フェフェフェ」と意味不明な笑い声で「こういう曲だったんだぁ、想像してたのと違った」(何を想像していたのか?)、最前列のお母様に「何か変でした?」とお聞きしたら「いいえ」と答えていただきましたが。目が泳いでいました。何だか東京音大での中井先生のレクチャーの時の学生さん達の反応を
思い出してしまいました。(後日、この曲が大好きだという、お母様に「色彩が感じられて素敵でした。初めて間近であの曲を聞いたらびっくりされるかも・・と感想をいただきました。?)
 


 


 

(後から聞いたら、太郎さんには司会用に振り仮名がふってあって曲目紹介が入っていないプログラムしか持っていなかったそうで、悪いことをしてしまいました。)
 

あまり深く考えないようにして、トーンチャイムに進めます。今回はしかも未就学児でトーンチャイムデビュー
も数名、もちろんサポートしてくださる保護者の方も初体験です。しかしながら、かなりの出来栄えで2曲演奏することができました。重いセットを引きずってきた甲斐があったというものです。
 


 

ところで、新年会の目玉はなんといっても演奏後のパーティーです。2階に上がって早速乾杯!!パーティーの始まりです。

 


 

最後のお片づけまで残ってくれた面々で記念撮影


 

今回もオーナー様からのご厚意で美味しい手作りのお品を添えていただき、長い時間を楽しみました。
生徒さんとご一緒に参加のご家族様、本当にありがとうございました。お疲れ様でした!

喜びの島

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随分前でしたが、中井正子先生のレクチャーを東京音大まで聴きに行ったことがありました。凄い前なので記憶も薄れがちなんですが、曲目はドビュッシーの喜びの島でした。
 

Wikiより「ドビュッシーの喜びの島は、ジャン・アントワーヌ・ヴァトーの作品「シテール島への巡礼」(ルーブル美術館蔵。当初は「シテール島への船出」というタイトルだったが後に改題され現在のタイトルとなった)の影響を受けている。シテール島はエーゲ海、クレタ島の北西にある島で、神話では愛の女神ヴィーナスの島とされている。この作品は、装飾音やリズムの変化といった技巧を駆使して、きらめくように豊かな色彩の細やかな音を連ね、幻想的な愛の歓びを描き出している。」
 


 

数あるドビュッシーの名曲の中でも最たる幸福感を味わえる曲でしょう。本来なら、ベルガマスク組曲の一曲となるはずが、独立した曲として世に出ることになりましたが、それによって後世の人々の扱いも随分と変わったんだろうと思います。

 

シテール島はエーゲ海に浮かぶ愛の女神アプロディーテ所縁の島です。ドビュッシーは2番目の妻リリーを捨てて、当時人妻であったエンマと駆け落ち旅行した際に作られたのが、喜びの島なのです。
ただの美しい曲では無かったらしい事が分かったところで…
 

アントワーヌ・ヴァトー画 『シテール島の巡礼』 (Antoine Watteau 1684年10月10日 – 1721年7月18日)は、ロココ時代のフランスの画家。この時代、絵画の主題において男女の愛の駆け引きを主題にした風俗画が目立つようになる。 「雅びな宴」(フェート・ギャラント、fêtes galantes)の画家と呼ばれるヴァトーは、若くして亡くなったが、18世紀フランスのロココ様式を代表する画家と見なされている。


 

中川先生のレクチャーに話を戻します。最後の目が眩む様なパッセージとハーモニーのかたまりに向かって、これでもかと色彩豊かにピアノを奏でる中川先生。絵画の印象派顔負けなくらいのキラキラした光を放ちます。しかもレクチャーも演奏と同時進行です
 

そしてクライマックス。中川先生はピアノから愛のエネルギーを汲み出すポンプの様に成って身体を激しく上下、ピアノもそれに答えるかの様に音を放出します!そして最後の一音を爆発させてから、わぁーと聴講生の方を振り向き「この様に愛が溢れるのです‼︎」と言われた瞬間、あまりの迫力に大人しめな東京音大の学生たちは、ドン引きしていました。
 


 

先日、喜びの島をU先生のレッスンに持って行きました。「何か気になることは有りますか?」との先生の問いかけに、「身体がポンプの様に動かないんですけど、どうやって音楽に乗ればあんな風になるのか分からないのです…」と前述の話をしたところ、「それがしたいんですか?」と。いやいやそういう訳ではないんですが、気にはなります。
 

U先生曰く、「よほど弾き慣れているに違いない。」
 

そうですね、かなり弾き慣れれば勝手に体が動くのかもしれません。

新年会

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MYMUSICは冬にクリスマス会、初夏に発表会を行って来ました。しかしながら、発表会が初夏から梅雨の時期…夏から夏休み中、とどんどん時期が遅くなり、腰の重い私のせいでもあるのですが、クリスマス会もずれ込んで最近は新年会になってしまいました。

新年会という事は、新年早々練習に励む事を意味します。年末年始にどれだけ練習に集中出来るかは置いといて、クリスマス会から考えると寿命が一カ月程延びることになるのですが…

発表会よりさらにアットホームな新年会は元々は忘年会でピアノ演奏付きの飲み会でした。

 

「ピアノのお稽古会(弾き合い会、時間内で3巡くらい回し弾き)」が終わった後は「親御さんと大人の生徒さんの宴会に子供達が付き合ってきている」ような。せっかくオーナーの田村さんがお洒落な雰囲気を演出してくださっているのに、缶酎ハイと袋菓子を近所のスーパーに買い出しに行っだりして・・・
 

それがどんどん進化して、いつの間にか発表会に準ずるような「立派な演奏会と素敵なパーティ」になってしまいました。
今や缶酎ハイと袋菓子がテーブルに並ぶことはありません。生徒さん達からの差し入れも「大きないちご」だったり、「ちょと洒落たポップコーン」だったりします。持ち込みの飲み物はシャンパンに赤白のワイン、ノンアルコールも美味しそうなものを用意します。・・ってほとんどオーナーさんと世話役の方にお任せなんですけど。
 

世話役さんにはオーナーさんとの打ち合わせやゲストの謝礼の用意などの準備、当日の会計から受付まで「先生は指導とプログラムのことに専念してください」ということで、すっかり頼っております。

 

私は、生徒さん全員と定期的に顔を合わせられる唯一の存在なので、「出席表作り」や収入を出して「予算を作成」、軽食を用意するので、「同伴者の人数の把握」、「トーンチャイムの楽譜作成や用意」を担当しています。そして大事なのは「プログラムの作成」「司会者用の振り仮名付きのプログラム」。事前作業が終了して当日の持ち物まで整理ができると、かなりホッとします。当日は受付などを世話役さんにお願いして、リハーサルに張り付いて写真係をします。新年会やクリスマス会はカメラさんを頼まないので、先生のコンパクトカメラが大活躍です。(生徒さんのご主人様が、私の貧弱なカメラとはとは段違いのカメラと録音機材を持ってきてくださるので、集合写真も撮れて本当にありがたいです。)

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こうして、リハーサルも無事終了、これからが本番、名演奏迷演奏が炸裂します。今回は初参や加初の試みが多く、演奏者も昨年に比べて増えています。司会はいつもながら「武富太郎さん」。おかげさまで豊かな美声でお名前を読んでもらえて気分良く演奏できます。
 

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トップバッターは習い始めてちょうど7ヶ月の4歳の男の子、なんと両手でベートーヴェンの喜びの歌を弾いてくれました。
(頑張らせちゃってごめんね。)から自分たちで‘一生懸命考えた’‘親に命令された!’または、‘先生にお願いされた!?’りして決めた曲を子供達がそれぞれ弾いてくれました。お家でパパと絵本を作ったのをレッスンで見せてくれた4歳の男の子、夏の発表会の後から来てくれているのですが、その「絵本の曲」をピアノで演奏してくれました。お母様が絵本を朗読してくださって親子でコラボです。長く習ってきている子供達は、それぞれマイ流行の曲をご披露、弟たちが好きな「夢をかなえてドラえもん」だったり、自分が好きな映画の主題歌や名曲100選からチャレンジしてくれた人もいました。
 

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大人は今回ベートーヴェンの人が多くてさながら「ベートーヴェン祭り」といった感じでした。ですが、女性作曲家のシャミナードの作品やフランスの近代作曲家のイベールの作品、ファイナルファンタジーの音楽と幅広い選曲、また友人とご一緒に参加してくださり、その方の‘歌の伴奏で「赤いスイトピー」ご自身で「YOUR EYES」の弾き語り’といった今迄にないプログラムも有って・・第1部はいつもよりバラエティ豊かだったかも。
 

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そして後半第2部に続きます。・・・

功夫 コンフー

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太極拳の先生から「功夫」という素敵な言葉を教えてもらいました。

「功夫」とは、中国語でコンフーと読みます。実はカンフーのことです。そうすると頭に思い浮かぶのはカンフー映画だったりします。

 

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北京語ではピン音: gōngfū だが、ブルース・リーの中国武術香港映画の映画が世界的にヒットした際、ウェード式、もしくは広東語の伝統的な表記法によって Kung-fu と書かれ、英語読みされた「カンフー」[ˌkʌŋˈfuː] (聞く) が世界的に中国武術一般の総称として広まった。
 

似たような言葉で工夫(くふう)という日本語がありますね。「よい方法や手段をみつけようとして、考えをめぐらすこと。また、その方法や手段。」って感じでしょうか。
 

中国語でも同様、工夫は「新しいことを生み出するのに骨を折ったり、そのためにかかった時間」の事を言うようです。
本音を言えば、新しい事を編み出す苦労は、できればしないで済ませたいですよねー。
 

先人がいなかったり、誰にも教えてもらえない環境だったら、また正しい道筋かもわからないまま進み続けなければなりません。暗闇で試行錯誤を繰り返している気分になります。
 

それが嫌で先生についたとしても。
 

お師匠さんに教えてもらって即座に理解し指示された通り完璧に出来たとしたら…創意工夫の必要はないのですが、たいていの場合は家に帰ってから考えこんだり、もっと悪いのは忘れてしまったり…
 

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そんな中、チラホラいる要領の良い人は特徴を捉えて自分のものにするのが得意な人です。観察力が優れていて見たものを身体の実感として感じたり記憶できたりする人がいます。
 

内村選手は子供の頃から練習場から自室に戻ると他の体操選手の動画を見ていたそうです。動画を見ているだけでも、体感として運動を感じたり運動の記憶として残るそうなのです。
 

体操選手は特に優れているそうですが、誰にでもある能力だそうで、だからレッスンに行って帰って来ただけで、なんとなく弾けるようになった…なんてこともあるのは意識はしてなくても、先生が弾いているのを見ていて自分の実感として記憶出来ているせいなのです。
 

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が、たいていの新しく学んだ事は中々身に付かず、四苦八苦するわけですが、その手間や時間をかけることにより、自分のなかで再構築されたことが、その人にとって大切な宝となるんだと思います。「功夫」とはそういう苦労人にとって慰めになる言葉です。
 

「功夫」とは、元々中国武術の言葉ですが、中国やその他の地方では、中国武術に限らず広く使用される用語で、中国武術で重要視される「練習・鍛錬・訓練の蓄積」、また、それに掛けた「時間や労力」の意である。「功夫が足りている人」のように用いられます。その世界では最高級の褒め言葉だそうです。
 

とりあえず「功夫の足りている人」を目指してみようと思う、この頃です。
 

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身体を使うことの意味

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太極拳のお稽古では24式という一連の動きを覚えることから始まります。クラシックバレエのお稽古でも、初心者は「滅茶苦茶で良いから中に入って踊る様に、決して壁に張り付くな!」と、とりあえず先輩たちの中に入って隣人の進路妨害にならない様ウロウロしながら、見よう見まねで動くところから最初のレッスンが初まりました。
 

…とここまでは、前回のコラムの引用で、ここから今回の話が始まります。
 

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クラシックバレエの最初のお稽古は、基本的な、*1「パ(歩)」や「ポール・ド・ブラ(腕の動き)」「ピルエット」などの回転系の動きや、動きのコンビネーションを練習する事なのです。バレエ用語がサッパリわからないような「ど」のつく素人は、嫌がられたので、近所のヨガ教室で教えをしているバレエの先生に習いました。
 

そのスタジオは、恐ろしいことに、自分を含め2人しか生徒がいなくて、相方の事を考えると高熱を発してもお休みできない…そんな過酷な環境に置かれてしまいました。その先生が妊娠出産のために辞められたのを契機に「チョット外で習ったんなら入っていいよ。」ということで「執行バレエスクール」にお世話になることにしました。
 

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太極拳の場合は、24式の繰り返し練習なので、全くの素人でもすぐスタジオにに入れてくれました。
 

そこのクラスは長く習っていらっしゃる方ばかりなので、いたたまれなくなった私は先生に「もっと初心者が習っているクラスはありませんか?」とお聞きしたら、同じような下手ばかりの中だと、かえって習得が遅れるとのことでした。
 

それはバレエも同じで、基本的な用語や知識が少し入ったら、うろ覚えでも上手な人の中に入って、気分だけでも「経験のある人と同化」していた方が、伸びるのが早いんだそうです。(確かに、バレエの「ど素人2人のプライベートレッスン」は体が辛いばかりで、進歩は全くといいくらい有りませんでした。)
 

でその両方とも、暫くしたら「うろ覚え」程度になり、集団に混じっていられる様になりました…
バレエと太極拳、並列して書いてしまいましたが、クラシックバレエを暫く習っていて、股関節に不具合がありバレエを続けるか悩んでいた時に、近所のフィットネスクラブに入会し、そこで太極拳に出会う…という経緯です。

 

太極拳の先生もバレエの先生も、人の動きを真似するために視線が動くと、その瞬間から目差す物と違うものになってしまう、と言われます。目線がブレると顔の位置や向きが変わってしまいます。すると重心の位置や関節の具合が変わり、それが全身に影響を与えるからです。
 

目線まで注意しても、太極拳の先生からは「何故そのような動きになるのか、分からなくてやっている人ばかりだ」と言われました。
 

例えば、「暴漢が迫って来たので石を投げて追い払う」とします。まず石が分からないといけません。石を探して拾って握ります。
で、暴漢に目掛けて投げる、という一連の動作をするわけです。
 

ところが、「まず暴漢が来た事を知らない」「石が分からない」「何を投げているのか分からない」「投げ方が分からない」のような、とりあえず今やっている事の意味がわからないけど、周りと同じような行動をしているとしたら…
 

手の中に何もなくて投げるふりをしている人、ちゃんと投げているけど木の葉?を投げてる人等々。一見、正しい順番で動いているけど、これではやっていることが違っています。私の行っている太極拳のクラスでは、この状態を辞めましょうというお稽古に段々と突入して来たのです。
 

「意味不明でも、うろ覚えで周りを確認しながら動作する」でも自分的にはかなり出世したなぁと思っていたのですが、「動作を覚える」が叶ったとしてもそれで終わりではないらしい。何故そのような動作になるのか、きちんと理解すること、そしてキチンと出来たとしても…
 

話が戻りますが、例えば「石を投げる」動作がちゃんと出来たとして、「暴漢を追い払う」という意味が分からなくて暴漢の頭に石を”ど”ストライクで当てて殺してしまったら、自分が殺人犯になってしまいます。「だから塩梅を知るという事も大切だ。」と先生は熱弁をふるっていました。
 

「動きの完成は、目標でなくて、最後の表れである」一年前くらいに言われていた言葉にまたまた戻って来ました。
 

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楽器演奏も身体を使うの事なのです。ですから「何故身体にこの様な振る舞いを要求するのか」わかる様に教えてもらえると骨身にしみるというか、理解がうんと進みますよね。思い通りに「発音する」「リズムを表現する」その為にどの様に身体を操っていくのか、声楽の人は「身体が楽器」で力の出し入れのタイミングが命ですから、例えば私の声楽のT先生は、「身体をいかに操るか」の教え方がとても上手です。
 

ピアノ等、楽器を弾く人も身体をどうやって操るのか意識しながら練習していくと、色々発見があるかもしれないし、教える立場になった時も役に立つんじゃないかなぁと思います。
 

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楽音は演奏家の動きの最後の表れである…でしょうか?
 

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