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活動情報

コラム

教える人の気質について

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保育士だった友人が小学校教諭に転職したことがありました。嬉々として、小学生低学年の生徒を引き連れて過ごす日常を語ったのを聞いた時、正直そんなものなのかなぁ?と思ってしまいました。小学校の先生は、自分の専門に特化して教えるのではないので、同じ教える仕事でも「自宅教室や大学」とは、やり甲斐と感じるところが随分と違っているようでした。
 

この感じ方の差は気質の違いが原因のようです。
 

ピアノの自宅教室を開設するにあたり、縁あってカウンセリングや心理分析を受けてみました。自分の事がよく分かると、教えるのに良いかなぁと思ったからです。結果は「循環気質のペルソナを被る分裂気質」でした。占いと一緒で信じるかどうかは本人次第ですが、多少は当たっていそうな気もします。
 

平たく説明すると、「和気藹々と人と楽しくやるのが好きな振りをしている’お一人様’」。
 

口の悪いアナリストのさらなる説明によると、
 

「一人で一か所にジッと留まっているのが好きで、たいして面白く無い事を延々と続けられる。他人に興味が無いので名誉欲も希薄で、人の目も気にしない。体力がなく、根気や努力が続かず、諦めが早いので、不動産や車のような高額商品のセールスには不向きだか、安価なものを大量に売る事はできる。興味のあるものしか目に入らず、ほかの事には気がつかない。そのまんまでは社会生活が大変になるので、仕事をしたり社会生活を送るために、人付き合いが好きな振りをしている。」
 

半分くらいは当たっているかもしれません。上記の小学生教諭になった友人の話を聞いたときの、自分の反応と照らし合わせて考えたとき、「これが本当だったら、小さい人にお教えするのには、まずいかもしれないので、気をつけなければならないなぁ…」と思いました。
 

なぜなら、小中学では滅多に見かけないけど、高校ぐらいからポツポツと、大学にはいっぱい存在する、「授業崩壊しても気にしないで楽しそうに自分がしたい授業をし、学生や生徒が騒いでいても自分がいい授業が出来たと満足すればokで、時間になるとサッサと教室を後にする先生。」も同じく分裂気質なんだそうです。お子さん相手にこんなレッスンをしていたら、かなり問題がありますよね。
 

なので、お子さんの生徒さんがいらっしゃった時は、小中学校教諭をしている友人達を一生懸命イメージしながら教えています。上手く仮面が被れていたらいいのですが…
 

レッスンでの集中力


 

子供たち全員というわけではありませんが、片方の頭では、親に言われている様にキチンとレッスンを受けよう、と思っていながら、目に入ってきたものを知らない間に触っている様な、集中力の続かない人がいます。年少のお子さんでは普通のことです。
 

レッスン中に、とにかくレッスン室の中の備品や私の私物や楽譜、色々な物が気になるらしい。目に入るとついつい手に取り引っ張り出そうとする。「自分のもの以外は勝手に触らない。」「見せてくださいと言って了解を取ること。」とその都度お話ししますが、頭で考える前にもう既に手が動いてしまう様です。
 

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するとこんな姿になります。
 

園児から小学生低学年までは何をしても可愛いんですが、身長も抜かれる高学年になると、そうも言っていられないので、お小言を言うことになります。しかし、集中力の無さと少々の失礼さは何故か小学生を卒業すると自然に消えていきます。
 

多分、子供は大人より、自分の周りの情報や刺激に反応してしまうのでしょうね。だから、今の情報過多の時代だと、昔の子供より頭に疲れが溜まりやすいのではないかと、ちょっと心配になります。脳の疲れは、視覚情報を2、3秒断つだけでも取れるんだそうです。瞬きをちょっと長くするくらいですよね。
 

その他にも、集中力が切れるケースがあります。私が生徒さんの状態を読み切れなかった時です。
 

ケース1.そんな事はもう出来るんだけどね

ケース2.苦労して頑張ったのにスルーしたよね
 

自分自身もそうであるように、練習してだんだんとできるようになることより、ある時を境に根拠なくできるようになったケースの方が多いんです。階段に例えるとしばらく「踊り場」」が続くのだけど、ポンと1段飛ぶ感じです。で大人ですらそうなのですから、成長過程にある人は、そのタイミングが訪れるまで一年ぐらい「踊り場」にいて、いきなりクリアしていたりします。先週まで顔を真っ赤にして頭から湯気が出そうな勢いでなんとか弾いていたのに、今週は手助けしてあげようとすると、ムッとして無視。‘噛み砕いて教えてくれなくても、こんなの簡単なんですけど!’って無言の抗議でさっさと弾いてしまう。男の子に多いケースです。
 

それと逆のケース、「いっぱい練習して上手に弾けるようになったのに、一回しか弾かしてくれないで、さっさと次の曲に進んでしまった、ふてくされてやる!」女の子に多いケースです。子供たちは弾けるようになった曲を弾くのが好きです。やっと弾けるようになったのに一回弾いて終わってしまった上、あんまり労をねぎらってもらえないとムッとします。申し訳ないけど、初級の教則本は先生にとったらさすがに難しくはないのですが、そこは察してあげなければいけませんね。
 

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勘違いしてはいけないのは、「初心者の方」や「ピアノ暦の短いお子さん」よりピアノ暦が長い先生の方が簡単にピアノを弾いているわけではないのです。解決方法の引き出しをたくさん持っているとか、できることがたくさんあるとは思いますが。
 

例えば、聞いた話ですが、開脚ストレッチで‘90度しか足が開かない人も180度以上開く人も、多少の痛みを我慢しなければストレッチにならないから、痛いのは同じ’なんだそうです。ピアノも同じなんだろうと思います。弾きにくいところを上手にアドバイスしてくれたり、簡単に弾き方を矯正してくれたりする先生は、実は生徒さんと同じような苦労を先にいっぱいしてしまっているのかもしれませんね。
 

・・・「だから、苦労してる先生の話を親身になってちゃんと聞きましょう。」なんて言っても、小学生達にとっては「馬の耳に念仏」なのかなぁ。中学生くらいになると「先生って、きっと頑張ったんだなぁ。」て思うみたいですけど。
 

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発表会の準備2

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発表会まで一か月切りそうになってきました。準備をしなくてはなりません。先ずは、
 

1.昨年使った残りのビンゴカードを探す。

2.生徒さん達のソロ演奏以外の曲を用意する。ミュージックベルだったり、連弾だったり。

3.ミュージックベルを置く台になりそうなものが会場に有るか確認。

4.誰がベルを運ぶか、また、どうやって運ぶか。

…思いつくところから片づけていかないと。

5.全員参加のトーンチャイムの曲の選定。
 

非常に家庭的な音楽サークルのような集まりなので、皆さん一緒に考えて助けてくれます。実は、今回はミュージックベルの持ち運びがいつもと違うます。前は20音も使わなかったから、20音用のケース(阿佐ヶ谷教室所有)に入れて運ぶか、手分けして数個づつ運べました。
 

今回は、ミュージックベルだけで「一人アナ雪」という信じられない芸を披露する小学生がいるので、27音全部必要なのですが、ケースには入り切りません。しょうがないからケースは買わないで、買ったまんまの箱に入って白鷺教室のピアノの下に居ます。
 

普通ならこんな感じ、キラキラ星。

 

一人アナ雪、凄すぎ。


 

この他に、スーツケースに入ったスズキのトーンチャイム2オクターブ、など…。三脚立てた録画は諦めようかな、道中きっと暑いし。
 

自分の分のビンゴのプレゼントと予備とゲストのプレゼント。映像はなし、当日のお楽しみ。
 

2は先生から生徒さんへの心尽しです。一生懸命楽譜を探したり、自分でアレンジしたり、オリジナルを書いたりします。今日は二曲仕上げました。
 

それからミュージックベル用に色でも音がわかるような楽譜を作りました。
 


 

子供たちは、普段弾いている教則本から一曲から数曲とリサイタル用の曲を選んでもらっています。先生の意に反して⁉︎弾きたい曲と教則本の曲を差別的に扱うお子さんもいるんですよね。そういう人は全部が全部ディズニー映画だったりします。私がアレンジの譜面を渡しちゃうと「先生、ここはもう少しカンタンにして欲しいです。」
 

…どうなのかなぁ?と思います。普段は楽譜どおり弾けるように練習したり勉強するのに、楽譜を自分に合わせさせるのって、真逆な発想なんじゃないかしら?
 

5のトーンチャイムは新しい参加者がいるので、みんなが知っている曲を選んだ方がいいのかな・・・「大きな古時計」「ミッキーマウスマーチ」「家路(新世界より)」とか。すると新たに数曲は楽譜も作らないと。
 
 

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今度は何色にしようかな、前に作ったのとバッティングしないようにしないと。
 

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写真は、前回のトーンチャイムを必死に振る人々。
 

ミュージックベルを置く‘長机’は会場で貸していただけることになりました(もしその机に乗りきれなかったら・・・考えたくもありません)。でも、大変!ビンゴカードが見つからない。…問題が解決したり、発覚したりです。
 

こんなこと続きで、これから一か月過ごします。発表会費が終わったらどっと疲れるのは、いつもより脳を使うからかもしれません。
 

雑用を早く終わらせて、自分の講師演奏の心配がしたいです(笑)。 

「絶対音感神話」を聞いて感じたこと

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太極拳のクラスはオバさんが多いです。オバさんの「カテゴリー」は、年齢でも性別でもなさそうです。実際、まだ子供なのに世話焼きオバさんな男の子も知り合いにいますし、私の学生時代のゼミの先生は男性でしたが、魚屋で「奥さん今日のは良いですよ」と声をかけられました。オバさんは生まれ持った性別を超えて、女子力が円熟し過ぎの人がなるのではないかと思います。
 

そのオバさん達が太極拳のクラスの後、連れ立って遊びに来ました。オバさん達はどんなに忙しくてもエネルギーとパワーに溢れています。私が自身をオバさんでないと思う理由は、すぐ疲れてエネルギーが無くなるからです。
 

レッスン室に、ピアノに縁が遠い人が来るのは初めてです。ピアノを習おうと思ってくる人でも、グランドピアノを見ると興奮します。今回の集まりでは、「ピアノを見るのは学校の講堂以来」なんて人もいらっしゃって、ピアノを見ただけで既に満足度アップです。個人レッスン用のピアノの部屋にわたしを入れて五人も詰め込まれているのに、文句も言わないで喜んで下さって恐縮です…
 

「今日は何を弾いてくれるの?」「バッハのパルティータにしようかと思うのですが…」
わたしがスタンバイしてもお喋りは止まりません。隙をついてプレリュードをとにかく弾きました。普通なら、最後のジークまで集中して弾きたいのですが…プレリュードを弾き終わったところで「凄い良い音、癒されるわ〜〜」感想とそれにまつわる話が止まりません。声もデカイ。
 

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音楽大学でも同じ光景を何回も見ました。ボディテクニックの講義、バーレッスンでもセンターでも、一つ終わるごとに「難しい~、出来ない~覚えられない~無理~身体が痛い~そんなに曲がらない~」ほかっておくと感想を口々に語り出して、しかもドンドン声が大きくなって盛り上がり先に進まない、ので先生が必死になって黙らしていました。
 

「絶対なんとかってすごいわね。知ってる?壁を叩いた音もなんの音が分かるんだって。」「それは絶対音感よ、孫が音感無くって。」(お孫さんいるんだわ、そんな歳に見えなかった、太極拳終わったばっかなのに疲れてなさそうだし)
 

いやいや、年少のお子さんは歌っても上手く音程取れないのが普通だし、壁叩いた音が階名で聞こえてもウザいだけでしょう…とツッコミも入れられないくらい圧倒されつつ会話を聞いていると、この方はお琴をされていて、和のものをお師匠さんについてシッカリお稽古されている方だそうです。思わず、絶対音感いらないじゃんと思ってしまいましたが、絶対音感ってあったら何か良いことがありそうな気がするみたいですね。
 

結局、パルティータはジークまで辿り着けないで終わってしまいました。
 

ピアノ、伴奏合わせに来たソロの方や生徒さんなど音楽関係(生徒さんの保護者様を除く)以外の方がレッスン室にいらっしゃったのは初めてかもしれません。
 

言葉では上手く言えないのですが、そうなのか、なるほど…と思うことがいっぱい有りました。コラムの内容も専門馬鹿になっているところも無きにしも非ずかも、と少し反省です。
 

ちなみに、この日のメンバーで、オバさんでなさそうな人も混じっていました。その方もわたしと同じくらいの声量で、やはり周囲に圧倒されている風で、チョット救われました。
 

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音を感じる力 2

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「音を感じる」…
 

色んな意味があると思います。
 

耳に届いた音に反応する、例えば音名や音の相対関係が判別出来る。リズムが頭の中で音符になって即座に理解出来る。書き取り聴音をすると、この手の能力と理解度は白昼に晒されます。だから、音大音高の入試試験では試験科目に入っていることがあります。
 

クラシックの和声感とポピュラーでは大分違います。例えばジャズの人は、階名で下から「ミ ラ レ」という和音が聴こえたら、「ドミソ」つまり Cコードに聴こえます。これはベースの音、この場合は実際には鳴っていないbassの「ド」の音頭の中で一緒に聴いているからです。
 

その続きで、ジャズのピアノソロの場合、頭の中でベースやドラムスが鳴っているのに合わせて演奏しているので、所々で根音を省略(クラシック的な言い方ですが)したり、またはベースラインを弾いたり、単調にならないよう音をチョイスすることが出来るわけです。
 

リトミックの創始者、エミール・ジャック・ダルクローズは、このような内的聴覚の事をインナーイヤーと呼んでいました。ダルクローズは音楽大学の学生に内的聴覚が必要だと考えていました。彼の求めていたのは「音感、音程、調性感、和声感が実際に音を聴かなくてもわかる」レベルです。
 

なぜなら、ダルクローズは1865年生まれの作曲家だからです。この頃はパソコンがありませんでした。
 

例えば…
 

オーケストラの曲を書くとします。いちいち音を出して確かめないと書けないなら、書いている間自分の側にオケを置いておかなければならなくなります。大変、非現実的な作曲の仕方ですよね。
 

作曲科の学生は、一生懸命この能力を磨くわけです。和声の課題を解きフーガを書きそして管弦楽法を学び、素晴らしい過去の作品を写経?もします。ダルクローズソルフェージュはこの能力を得るためのトレーニングだったのです。
 

幼児向きの音感教育法の知られているリトミックのソルフェージュが、実は敷居が高いとわかったところで。
 


 

21世紀、自宅にパソコン、スマホを保有している人が殆どの現代、頭の中で音を鳴らさなくても、MIDIで音源を繋げばキーボードが一台でたいていの音は鳴らしてもらえるようになりました。曲を作ったり、書いた音を確かめるのには大変便利にです。これらDTMの初期費用は10万円くらいです。
 

その初期費用さえケチるとなると、やはり、経験を積んでインナーイヤーを鍛えるしかなくなります。適当でよければ、それ程難しい事ではありません。例えば、ピアノコンチェルトはピアノソロと大体同じメロディをオケが演奏してくれる場面が多々あります。
なので、「こういうピアノ曲だとオケにするとこんな感じのアレンジ」って、とても参考になったり、わかりやすかったりします。
 

頭の中にチープでも音源ソフトがあれば、ピアノ譜を見ても勝手に管弦楽に置き換えて鳴らしてくれたり、または譜面に書かれていないオーケストラの呼吸みたいなものも、感じることができるかもしれませんね。
 

そういえば、私も吹奏楽部の生徒さん達から、クラリネット二管とピアノ伴奏で吹けるように、「トトロ」と「もののけ姫」の挿入歌のアレンジを頼まれたとき、テレビでオカルト映画を見ながら書いてました。テレビが付けっぱなしで、ながら見だったのですが、頭の外で悲鳴やその他のBGMや効果音が鳴っていても、あんまり気にならないものです。(かえって静かだと気が散ってしまって・・)
 

音を聴く力とは「聴こえていない音を主体的に創造する力」なのだと思います。ですから、ソルフェージュの力を単に絶対音感に置き換えて発信する教育機関は少し偏りすぎなのではと感じるこの頃です。
 

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