音を感じる力
お子さんの場合、引っ越しなどのご都合で、新しい先生を探さないといけない時があります。今までの先生良い関係を築いてた場合辞めざるおえないのはさぞかし残念だろうなと思います。体験レッスンではそのような生徒さんと出会うこともあります。
教則本の書き込みやちょっと付箋に貼られたメモなど、これまでの先生が、どのような事に気を配られて教えてきたのか垣間見れますし、愛情も感じられます。「手首の動きに気をつけて下さい。頭のいい方なので理解されていると思います。」多分、レッスンに同行できなかった保護者様宛のメッセージなのでしょう。その方の手や腕は無理のない綺麗な動きかたをしていました。
私は初めて出会う生徒さんが、何を感じて何を思って曲を弾いているのか、興味があります。前の先生の書き込みも興味津々です。未就学児から小学校低学年までなら、1日30分目安で練習すれば、達者に弾けるようになります。メカニックが強いお子さんは、練習時間を確保して毎日毎日頑張って練習したのだろうと思いながら聴いています。
よく弾き込んだ曲はかなり難しくても上手に弾けるけど、知らない曲にはどう対処するのかな?とか、初見演奏や譜読みの仕方も気になります。
それから、ピアノを弾くのが楽しいのか、今弾いている曲が好きなのかも気になります。
曲に対してイメージが湧かないまま弾くと、指の運動になってしまいがちですが、初心者や子供の教則本の多くは、曲番号の他、タイトルとちょっと気の利いてた挿絵が付いていたりします導入期な本には歌詞まで付いています?先生が挿絵に注目させなくても目に入って来るので、少なからず演奏に影響かありそうです。
(ラーニングトゥプレイ1巻の「ノアの箱舟」の歌詞、頭の中でリフレインします。「お船の中は、トラ、カバ、キリン」なんでノアの箱舟に乗った動物がこのラインナップなのか…のように、不思議なフレーズも有ります。)
なので、前の先生がどのような教則本を選んでいたかも、過去どのようなレッスンを受けていたのか知るヒントになります。「キチンと弾いているけど、強烈に音が汚い」とか、「スラスラ弾いているけど、左手のハーモニーとメロディが合ってなくても平気」なんていう方も来ることがありますが、実際に私のレッスンに来ることになると、今までしなかった苦労をしてしまうのかなぁ?と思うこともあります。
例えば…
私が体験レッスンの時よく口にするのですが、「この曲はどんな感じがしますか?曲のこの辺りは楽しい感じですか?悲しいですか?」は、同行された保護者様が、「今までの先生から一度も尋ねられたことがなかったので、その質問にはうちの子は上手に答えられません。」とお子さんに代わって答えらたことがありした。
でも、音を聴いて心が動くということは、ソルフェージュ能力の一番基本だと思うので、熱心に‘書き取り聴音’をする以前に意識してもらいたいところです。
と、これは教育的な観点で。本音のところは…
導入期の教則本の2巻目くらい、シャープやフラットが出てくる時期に教材として、フラットは‘短調’つまり『ハ短調で「ミ」にフラットがつく曲』が来ることが多いです。シャープの場合は、調性外音が多いです。装飾的につくか、また多くは借用和音です。
5度上調に部分転調するためのドミナントの和音で臨時記号のシャープが出てくることがあります。大抵はハ長調の曲なので、「ファ」にシャープがついて『ト長調』に転調します。こんな高度な和音が意外と早く登場するのですが、スルーする先生も多いのです。でも私には借用和音で転調することは大変テンションが上がることなので、ついつい熱く語ってしまいます。そんな時に、生徒さんが共感してくれると嬉しいものです。つまり・・・「同じ花を見て美しいといった二人の心が…」なんて昔フォークソングがあったような気がしますが、「同じ音を聴いて、色々いい合える生徒さん」とレッスンしていた方が、レッスンしている自分が楽しいからです。
メロディライン、和声進行、和声のつながりが作り出す大きなリズムから感じ取ったものを演奏する方が、ただ弾くことだけに一生懸命で何も感じないで弾くより幸せなことだと思います。小さなお子さんの『指のメカニック』と『感受性』をバランス良く伸ばしていくことは先生にとってはやりがいになるのだと思いますし、自分に取っても課題としているところです。そして最も大切なことは『メカニック』と『感受性』が、「作曲家の意図することを読み取りそれを実演で表現する」ための『テクニック』に結実していくことだと思っています。
2016.06.11│コラム
どんな楽譜を選びますか?
楽譜を買いに行くと、ピアノって楽器はすごいなって思います。紀伊国屋のような一般書店でさえ大きな棚一面がピアノの楽譜でいっぱいです。ギターやバンドスコアが置いてあるようなポピュラーなコーナーさえ、ピアノの教則本やらアレンジ、フレーズ集で溢れています。ましては大手楽器店の楽譜売り場クラシックのコーナーなんて、フロア中の棚がピアノの楽譜で占められています。望みの楽譜を探すのも大変で、だから楽譜売り場の書店員さんは、音楽大学を出たような、音楽の専門知識が高い人です。実際。私の同級生もYAMAHAに就職して楽譜売り場に配属された人がいました。
最近は通販で楽譜が買えるようになって、書店や楽器店まで足を運ばなくなりました。お目当がわかっていたなら通販の方が「検索」して在庫があるかないかすぐわかります。便利ですね。でも大規模の楽譜売り場に足を運ぶこととはとても大切です。実際に楽譜を手にとって中身を確認しないとわからないことも多いからです。
音楽専門の学校に行っているような専門の人のピアノの部屋には、楽譜が溢れることになります。同じ曲でも版違いで幾つか持っているからです。ショパンだけでも「パデレフスキー版」「コルトー版」「エキエル版」など思いつくだけでも幾つか版がででてきます。師事した先生によって指定する版が違ったりするので、その都度買い揃えることになるからです。
原典版(可能な限り忠実に作曲家の意図を再現することを目的とした楽譜の版、)といえど出版時には校訂者がいるわけなので、同じウィーン原典版でも、新しい版と古い版では曲数が違っていたり、指使いが変わっていたり、と違いがでてきます。(原典版は輸入楽譜でドイツ語表記の場合でも、表紙にUrtext Editionと書かれているので目印になります。)
例えばショパンの場合、「パデレフスキー版」での演奏や録音がされている音源を一般には耳にすることが多いです。「あの名演と同じ曲を弾きたい。」と思った場合、版が違うと、CDで聞いた曲と「音」や「曲の長さ」が違っていて違和感を覚えることがあります。「パデレフスキー版」は長い間決定版のような扱いでしたが、ショパンコンクールでは「エキエル編ナショナル・エディション」が決定版になっています。古い版より最近の研究が反映されてより作曲家の意図を再現できている、ということなのでしょうね。(特にコンクールの場合は、同じエディションに統一しておかないと審査も大変なんだろうと思います。他の楽譜と「音」の違いが多い「パデレフスキー版」は、残念ながらショパンコンクールの決定版ではなくなってしまいました。)
でも、ご贔屓のピアニストの演奏を聴いて好きになった曲があるならば、無頓着に楽譜を買って違和感を覚えながら練習することになるより、そのピアニストと同じ版を使った方が良いと思います。
誰かに師事しているなら、先生に直接「何版の楽譜を買ったらいいでしょうか?」と聞くのもいいでしょう。楽譜売り場に行くと装丁が洒落ているレアものがあったりします。自分が気に入った楽譜を使うものいいでしょうが、外見だけで選ぶと中身がひどいこともあるのは世の常なので、その覚悟さえあればとりあえず購入してもいいと思います。
私もドーバー版の「表紙がルノワールの女の子の肖像」に惹かれて、しかも「激安」なラヴェル全集を買ったら、音の間違いだらけだった覚えがあります。ピアノ仲間もアンティックなショパンのバラード1番の楽譜を見つけて喜んでいましたが、紙質も含め中身はそれなりのようです。
例えば、シューマンだと「ブライトコプフ版」が好きな先生方がいらっしゃいます。なぜだというとシューマン夫人のクララ・シューマン編集版だからです。音大の先生だとラヴェルなら「デュラン社」を指定されるときがあります。やっぱりラヴェルなら「デュラン」とか「オリジナル」とかの文言が楽譜の背表紙などに記されているものが無難なようです。このように、作曲者で出版社を変えて指定する先生もいます。
好き嫌いや特別な趣味がなけれは、原典版がいいんじゃないかと思うので、私の場合ですが、とりあえずは「ウィーン原典版」か、「ヘンレ版」たまに「ペータース版」も買うことがあります。(ペータース版が最初に日本に入ってきたのは明治時代だそうで、以来今日もずっと変わらず、黄色に黄緑の装飾の枠のデザインを守っているそうです。)
楽譜は必ず校訂されているので、校訂者が誰なのかも学者肌の先生にとっては大切だったりします。とりあえず、レッスンに出所不明のピースの譜面を持っていくことは御法度です。何か楽譜に問題があった時に、先生にいちいち原典版を調べさせたりするのも失礼だし、これから勉強しようとしている自分に対しても粗悪な譜面を使うことは失礼です。‘ベートーヴェンの悲愴の2楽章だけ弾きたい’と思っても、きっと「ベートーヴェンは一曲全部知った上で2楽章を弾いて欲しいだろうな〜」と思って、ちゃんと全楽章の譜面を持つべきだと思います。(確かにヘンレ版は重いですが、持ち歩きにはコピーを持つなど工夫するといいと思います。これも先生次第ですが、中にはコピーを嫌う先生もいらっしゃるので、レッスン前に了解を取った方が無難です。)
私は、そんなに厳格ではないのですが、全音版やJ.Sバッハの春秋社版を使うなら、原典版を意識してもらうようにしています。(日本の出版社は確かに日本人には使いやすく勉強しやすくできています。TPOに合わせて上手に使うと、いい参考書代わりにもなります。それと粗悪な楽譜としてブランディングされていた全音出版も方向転換して、最近は良書?が増えました。安価でオススメの場合があります。)
ところで、以前こんなことがありました。出先で知り合いからメールを受け取りました。「ショパンの革命のエチュードの左手の○小節目に付点のリズムがあるか調べてくれる?」同行していた友人が呆れて「あるわけないじゃん、試しに何版を使っているか聞いてみて。」と言います。すると「ドレミ出版らしいけど、何かの雑誌の付録についていたピースじゃないか」という答えが返ってきました。その知人はピアノの先生で、その怪しい楽譜を生徒に貸そうとしているらしい。しかもその楽譜しか持ってないそうです。それを聞いた友人は一言「恥ずかしいね。」と言いました。確かに、これから教えるのに怪しい譜面しか持っていない状態はおかしいし、勉強不足を友達に公表することなので、私が同じ状況なら人知れずこっそり調べるだろうなと思いました。
何事も、相手が先生だと親切に教えてもらえますが、友人知人くらいだと誰も「知らないと恥ずかしいこと」だと教えてくれません。陰でバカにしているだけです。「たかが楽譜一つ、どれでもいいのに細かいことを言われる。」と思うこともあるかと思いますが、こだわる先生や演奏家にとっては物凄く大切なことなので、たとえ趣味の範囲であったとしても心に留めておくといいと思います。そして、自分自身が「良いな、気に入ったな。」と思う楽譜で勉強しましょう。
2016.06.05│コラム
発表会の準備
新年会が終わって、早5ヶ月経過してしまいました。さて、発表会どうしようか迷ったんですが、いつもお手伝いしてくださる保護者の方に「この春入会した方もいらっしゃるし、やりましょう!」と背中を押してもらって7月23日に会場を取りました。
今年の発表会は、ここ「KMアートホール」です!!
アクセスです。(普通の邸宅に挟まれていて、まずは通り過ぎてしまいます。一階エントランスは受付として使えるようになってます。少し急な階段を下りていくと大変奇麗で80席以上の空間が広がっていました。オーナーさんは普通っぽいオジさんでやはり大変親切。何と1時間ピアノ込みで4000円だそうで、10時間使用してもトモノホールの半額です。ピアノは小振りなスタインウェイ、マホガニーで今では製造されていない型だそうです。推定100年経っているピアノですが,調整が良いのと弾き込まれていない感じで新品のようでした。音響も良くフラットな床にピアノが置かれていて,囲むようにパイプ椅子を並べるのが一般的なようです。こちらは ピアノソロのほか室内楽や声楽 サロンコンサート用です。大きめの給湯室の様な休憩室で飲み物も飲めるそうです。また、会場を出たら近隣のワールドワイドなサクラホテルで飲食ができます。)
会場を押さえたのが先月初旬です。スタートから遅すぎです。
だから、あっという間に2ヶ月切ってしまいました。大変です。
あとは何を考えてたら良いのかな…。
生徒さんもソロソロお尻に火が付いてくる頃です。大人の生徒さん方は、既に幾つかレパートリーをお持ちなので安心です。小学生以下の方は、あんまり早くから練習すると飽きちゃうので、何を弾くか決めるのは、これからになります。が、子供はシッカリしています。実は講師演奏のほうがよっぽど心配です。
何十人も出演者の皆がいないので、ソロの以外のプログラムも無いとあっという間に発表会が終わってしまいます。アンサンブルや連弾も希望者を募らなければ。
今回はミュージックベルを演奏する人がいらっしゃるので、ベルを会場に運び込むことになります。だったら活用した方が良いので、トーンチャイムとコラボもしようかな…そうなると、トーンチャイムの曲も早めに決めて、ミュージックベル用の楽譜も書かないと。
トーンチャイムの楽譜も綺麗に作り直しました。
折角、半年振りくらいで集まるので、半日はたっぷりピアノを弾くand楽しみたいです。
発表会はBINNGO、クリスマス会はプレゼント交換が習慣になっています。参加者には、500円プラス消費税くらいのプレゼントを中身が見えないように梱包して持ってきてもらいます。ビンゴカードはマス目が3×3なので、あっという間にビンゴになるはずなのですが、たまに中々にビンゴにならない不運な人もいるんですよね。
先月、小田原箱根方面に旅行したお土産はそのまま「お楽しみ抽選会」の景品にしました。そういう、どうでも良い準備は終わりました。
(以前は「シアトル帰りの友達からお土産にもらった、ベートーヴェンのトルソー(小)」とか、また、ある時は「アラブ首長国連邦みやげの音楽ノート」。そんな怪しくも珍しい頂き物を、参加者全員参加の抽選会で当たった人にプレゼントしたことがあって、ベートーヴェンのトルソーなんかデスマスクみたいで超怖かったんですが、当たった子は大喜びしていました。
それから、どこかに旅行した際のお土産などを、抽選で当たった人から好きなものを選んでもらっています。先生からのささやかなプレゼントです。)
ところで、プログラムを自作できるようになったせいで、いつも結局は土壇場でバタバタ準備することになります。印刷屋さんに出さないといけないと、だいぶん前から原稿を書き上げて印刷を頼まないといけませんが、自分のパソコンで作ったものを自宅のプリンターで印刷するならば、極端な話、発表会に間に合えば良いわけです。って、プログラムは発表会の前のレッスンでお渡しするのが本来の姿かもしれませんが、2005年に初めて会場を借りて発表会をした時から、当日に受付時のお渡しになってしまっています。一生懸命作りますのでどうか楽しみにしていてくださいね。
ちなみに新年会のプログラムはこんな感じでした。
今年の発表会も頑張ります!!
2016.06.02│コラム
褒めること 叱ること
「褒めたら子供が駄目になる」とか「認めて褒めて愛して育てる」とか・・・いろいろな本が出版されていて、アマゾンなんかでレビューを見ると全部説得力がありそうなんですが。褒めるより叱ることって難しいですよね。
そういえば、指導教員と学生が一対一で接する教科がある学校、特に音楽系でしたが、術科の先生が生徒に学校の密室(レッスン室)で、どんな指導をされているのか…問題になった事がありました。
一昔前の音高音大の先生方は、かつて自分が叱責され続けたために、それ用の「ポキャブラリー」や「相手にぐさっと刺さる態度」のヴァリエーションが抱負でした。同級生が先生に「このショパンエチュードは黒豹が疾走しているように弾いてほしいのに、あんたのは、まるで黒豚。」と吐き捨てるように言われてレッスンが終わった、と落胆していました。口が悪すぎて、いじめじゃないかと思われるようなこともあったようです。
近年は真逆になっています。「学生を指導してもよろしいが、叱責しないように」と学校側からお達しが来ていますので、学生は滅多なことでは怒られないし、大抵は教員側が我慢することになります。注意をするとかなりの確率で‘目の前で倒れたりする’(実は私も「私語の量が普通でない人」や「スマホで授業中ラインし続けている人」をちょっと注意したら、倒れられてしまいました。本当に軽くだったのに・・)ので「私語が多い」「勝手に退席する」「授業中に飲食をする」等など。見て見ぬ振りが多いです。
つまり、親から手が離れてきた10代後半になると、学校などの社会活動の中で、叱られるという経験が少なくなる傾向があるのです。社会に出る前にいっぱい叱られて打たれ強くなった方が本当はいいと思うのですが・・・
お子さん方にとって、ピアノ教室も基本的には楽しくあるべきだと思いますが、楽しくレッスンが受けられるために、ちょっと我慢して先生の話を聞いたり、少々気の乗らない練習でも頑張ったり、つまりは、ピアノの先生も親御さんと同じは無理でも、同じ目線で、お子さんお忍耐力を育てるお手伝いができればいいなぁと感じています。お子さんは「頑張ったらいいことがあった」という経験が大人より少ないので、目先の楽しくて楽なことに引きづられがちです。今どき二宮金次郎みたいな子も不気味ですけど・・・口手八丁で上手に頑張らせることが出来たなら理想的です。
とはいえ、大人の目から見て怠けているとか不真面目な態度に見えることがあっても、そのお子さん自身は精一杯やった結果の表現だったりするので、見た目の態度で怒ったり、いい子になるように指導矯正しようとすることは、私には中々できません。親御さんから見ると甘い先生かもしれませんね。
私は‘生徒さんのお母さん’から聞いた話を時々思い出します。その方はとてもピアノが好きだったそうです。ところが訪問のレッスンのピアノの先生が、レッスン中たっぷり出来ないところを叱責した後、子供部屋の襖一枚隔て客間で、延々お母さんにレッスン中ダメだったことを言いつけていたそうです。その方はいたたまれなくなって結局ピアノをやめてしまいました。切ないですよね。
出来るようになった事を先生が我が事のように喜ぶ・・・例えば弾けるようになって得意になっている曲があったら「すごいね!!弾けたね」って驚いたり喜んだり。褒め言葉を並べなくても、その方の演奏を聴いて思った事を、先生がちゃんと表現する事が、最高の褒め言葉になるんじゃないかな、って思います。
たとえお子さんであっても、年齢を経た方と接するとき自然にしているように、その方の学校生活やご家族との関係や他の習い事、諸々の頑張っていたり背負っていることに敬意を払うのが、お教えをする時に不可欠なんだろうと、未熟ながら思います。その上で、‘努力して出来る事が多くなってくる楽しさ’も経験させてあげたいなあと思うこの頃です。
2016.05.26│コラム
譜読みについて (大譜表とコード譜)
未就学児で習い始めの場合、どんな教則本を使ったとしても、先生やご両親がそばについて、音高や音価を少しづつ(人よってはあっという間に)教えてあげなければなりません。なぜかというと教則本がまだ完全に一人で読めないからです。最近はみんなおませで、保育園や幼稚園に通っている間に、平仮名の読み書きができるなる子が多くてびっくりしています。でも、「はい、これ読んできてね。」は、いくら何でもかわいそうですよね。というわけで、ちょうど3年から4年目の学習児童は大人と同等の語学力(あくまでもピアノ譜に対してですが)を有しているようになるので、MYMUSICでは「2分の1成人式」でおとな扱いとなります。
ところで世間では未婚率の上昇や、中々独立しない「パラサイト」が増えて問題になっていますが・・・・
読譜に関しても‘一人でもできるはずなんだけど、先生が一緒に見てくれないとやる気がしない、パラサイト’が、いっぱいいます。
忙しい会社員の人、残業続きで家で譜面なんて読む気がしないのでレッスン室で一生懸命覚えて帰る人や、ちょっとは弾く時間がありそうなのに、初めての譜面を持ってきて「先生、この曲弾けるようにしてください。」と言ってくる小中学生。譜読みにかける時間があったら、宿題をしたりお友達と一緒にいたいのでしょうけどね・・・
確かに先生は、今までたくさんの譜面と格闘しているので、生徒さんより目が慣れています。意識しないでもアナリーゼしながら譜面を見ているので和音進行で譜を読んでいたり、弾きにくいところも「音のグルーピングを変えると格段に覚えられて弾けるようになる」とか、手段を持っています。2分の1成人式を超えたあたりから大人の「パラサイト」は、真っ白から苦労するより、先生から先に手法を聞き出してなんとか楽をしようという魂胆見え見えです。というか賢いやり方かもしれませんね。
以上は大譜表での「書き譜」の場合。「メロ譜」をいきなり弾くのはそのための「仕込み」が必要になります。
高音部譜表にメロディしか書いてないのですから、コードから音楽の読み取って、音符が書いてない部分を自分で埋めていく勉強が必要になります。(MYMUSICでは、子供時代からピアノを習っている人には、コード表記に慣れてもらいたくて、楽典の教材は音名表記が「ABCDEFG」のアメリカのものを使っています。導入期には「ドレミファソラシ」の階名を書いてあげてますが、教本にはしつこく「ABCD」が出てくるので、知らず知らずに覚えていくようです。)
次にメロディに対して、コードから読み取った情報をいかに鍵盤上に配置するか、ボイシングですね。ボイシングか綺麗だと‘カッコイイ’サウンドになります、ダメだとダサくなります。こう書くと、センスの問題みたいですけど実はセオリーの問題です。つまりは「こうすると素敵だよ」と言われている「押さえ方」の理論を知っていくことが、譜読みの勉強になってきます。
大譜表に全部書かれたものと格闘するのか、書かれていない部分で格闘するのか・・・
どちらにしても頑張って弾けるようになったら、嬉しいですよね。
2016.05.23│コラム