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活動情報

コラム

クラシックの歌い方

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T先生の声楽のレッスンに週一回から10日に一回くらいの頻度で通っています。声楽のT先生は国立音楽大学音大に入る前から師事しています。学内や伴奏の仕事などでいろんな声楽家や声楽の先生と知り合いましたが、T先生とウイリアム・ウー先生だけが本当に筋道の通った教え方ができる人だと思っています。T先生は声のない私にも諦めることなく、声楽の基礎と歌い方の良し悪しをみっちり伝授してくださって、本来なら音大生でも難しいヴェルディやプッチーニのアリアを仕込んでいます。お陰様で、自分はさほどではないのだけれど、聞く耳だけは肥えてきました。

 

発音の仕方や立ち上がり方が全く異なる「歌」と「ピアノ」ですが、不思議なことに、「喉で押して歌う声」と「鍵盤を押して出す音」(えっ!鍵盤は押さないと音が出ないでしょ?って。でも、ぎゅうぎゅう押しちゃったら良くなさそうでしょ。)は同じような「音」になります。

 

歌の場合は音高で重心が上がったり下がったりすると良い歌い方になりませんが、ピアノも同じです。T先生から「飛び上がるな。」とか「同じ位置で歌え。」とか言われなすが、私もピアノのレッスンで同じような言葉が出てくることがあります。「今のは押したでしょ!」「飛び上がっちゃダメ」とか・・・。歌に詳しいU先生とも「歌の発声の仕方をピアノに当てはめるのは、旋律の歌い回しには良いかもしれないし共通点が多いかもしれないですね!」と盛り上がったこともあるので、あながちハズレではなさそうです。

 

クラシックの場合、男性は地声ですが女性は裏声です。だから2オクターブを超える声域が使えるのです。チェストボイスとヘッドボイスを混ぜながらうまく梯子を上ったり下がったりするように声を出さなければなりません。低音域はものすごく息が入りますし体力も使います。重い物を持ち上げる要領です。高音域のヘッドボイスは息があまり要りません。息を入れすぎると声が割れます。なので1音ずつ微妙に息の量を調節しながら発声すること、タイミングとリズム感でうまく体を操れば、声が大きくなくてもちゃんとした歌い方ができて、わかる人が聞けば「あの人はちゃんと勉強している、いい音楽を持っている。」と言われるけど、逆に声自慢でちゃんと勉強していない人は「いい声をしているけど残念ね。」と言われる、というのがT先生からいつも聞かされて耳タコになっている言葉です。

 

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先日、何人かのソプラノ歌手の歌を聴く機会がありました。中音域きが「カスカス」でト音記号の5線から上の「ソ」の音くらいから響きがつくような発声をしている人がいました。チェストボイスの重心が上すぎで喉声になっていているのです。喉声で歌うと自分には良い声に聞こえますが遠くに届きません。ピアノ伴奏ならまだ聴こえますが、オケ伴なら全く通らないそうです。ソプラノの良し悪しは中低音域の声を聴けばわかります。(と、長い間レッスンに通って刷り込まれました。)「音域によって声質が変わるかどうかをチェックしたら、歌い手さんがどんな勉強をしたか簡単に判別がつきます。」って、T先生から言われていましたが、最近は私でもわかるようになってきました。それから先生がおもしろがって生徒に貼り付けているプロ仕様のテクニック、先生から自慢げに「プロでもできる人は少ないのよ。」と言われていますが、ちゃんとオペラを歌う人しか知らないのだろうなぁ・・と思うこの頃です。

 

私が ‘身の丈に合わない高度な声楽のレッスン’ で学んできた、歌うときの「感とリズム」と「体の使いかた」と「力を出すタイミング」は、声楽独特のものでありながら、道を先に辿っていくと他の楽器、ピアノ演奏にも共通した道に辿り着きそうです。だといいなぁ・・・

 

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クラシックとポピュラー


クラシック畑の人が、Jazzの書き譜を弾くと変になっちゃうことがあります。言葉で言い表せないけど、聴いていて気持ち悪いです。たぶんビートの取り方と和声感の問題だろうと思います。でも、クラシックの人は楽譜に書いてありさえすれば、弾くことは可能です。
逆にポピュラーの人がクラシックを弾くと難しい、無理‼︎と感じることがあります。それは普通にルバート(tempo rubato)の概念がないからだと思います。
ポピュラー人は「一にも、二にも、リズムがタイトである」ということが求められます。その感覚でショパンのノクターンを弾いたら、多分超絶技巧を超えて演奏不可能でしょう。
逆にクラシックのひとはリズムタイトの感覚が無いので、弾けても変になっちゃうんでしょう。

 

 

クラシックの人は書き譜面が得意です。大譜表に全て書き込んであるものを再現する訓練を楽器を手に持って直ぐ始めます。なので当たり前過ぎて「書き譜」という概念すらなさそうです。
ポピュラーには譜面を読めない人もいます。以前「音価と音高をいっぺんに読み取らなければならないので、楽譜は難しい」と譜面を読めない人とセッションして言われたことがありますが…百歩譲って、その方の気持ちもわからないではないのですが、音価と音高がバラバラに書いてあったほうがより悲惨だと思いました。確かにポピュラーはジャンルによってですが「難しいよね!」って愚痴っているだけで譜面が読めなくても済んじゃうのです。

 

 

JAZZは譜面が読めないと困るジャンルです。上記の譜面の読めない人もJAZZのセッションをして、いっぺんで矯正されて譜面が読めるようになりました。残念ながらメロ譜が分からないとセッションに参加できません。

 

 

メロ譜とは、高音部譜表にメロディとコードが書かれている譜面です。親切だとイントロやエンディングのメロも付いています。ギターのタブ譜が書かれている場合もあります。ギターの人はタブ譜を見て簡単に弾き語り方できるそうです。

 

 

私はタブ譜を読めません。クラシックギターではタブ譜は使わないのか、しばらく習っていても、タブ譜に出会うことはありませんでした。ギターでもこんな違いがあるんですね。

 

 

メロディとコードだけが決まっているから、インプロビゼーションも簡単です。融通のある楽譜だから、今日集まったメンバーと「ボサでいく?」で演奏途中でリズム隊の気が変わったら4ビートになって、最後はボサに戻って…なんて勝手なことが集団でできたりもします。

 

 

クラシックで育った人は、要領と感がわかれば、ポピュラーにチェンジするのは楽です。楽譜だつて読めるに越したことはありません。

 

 

クラシックでもインプロビゼーションをしなくてはいけない時代が有りました。バロック時代は通奏低音と言われる低音の旋律のみが書かれて、それに適切な和音を付けて演奏されました。今のポピュラーのコードネームに近い感覚です。また、協奏曲なんかの「カデンツァ」などソリストがオーケストラを伴わず自由に即興的な演奏する部分がありますし、現代でも、独奏協奏曲の「カデンツァ」などソリストがオーケストラを伴わず自由に即興的な演奏する部分があるので、インプロビゼーションの機会もあります。

 

 

ポピュラーの人がクラシックの譜面を見て弾くほうが困難なのかもしれません。なんせ低音部譜表に左手の動きが事細かに書かれているし、両手が重音になっている楽譜を見るのは中々苦痛です。メロ譜に見慣れていると、本当にヘ音記号が読めなくなりますから。

 

 

という訳で、クラシックが強い人、ポピュラーが強い人、それぞれ得て不得手があります。ジャンルを超えて、色々なものにチャレンジするのは楽しいと思いますが、チャレンジしたいジャンルに必要な感覚を身につけるには、今までとは違う練習なり鍛錬の必要性があるかもしれませんね。

 

 

とは言え、ポピュラーでもピアニストは譜面を読める必要性があります。楽譜を読め無いメンバーが達がその部分で、一番頼りにするのがキーボーディストだからです。

 

 

サティについて

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芸術が爛熟していた世紀末、その時代の風変わりな作曲家で、イベールと同様、フランス六人組に入れてもらえなかった、イマイチ王道路線に乗れなかった印象があるけど、その後の音楽シーンに多大なる影響を与えた人であることには違いない…なにか魅力的なんでしょう。
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サティの時代展は、サティと、その当時の世相を美術や音楽、舞台芸術まで網羅した、とてもオシャレな展示会でした。
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サティは「3つのジムノペディ」神秘主義のイメージがあります。それだけじゃなくて、キャバレーでピアノ弾きをしていたので、集う人の邪魔にならない ‘ただそこにあるだけの音楽’ 「家具の音楽」を書いた環境音楽の先駆者でもあり、その系譜は、デビッド・ボーイやU2のプロデュースや演奏ででアルバムに参加した‘ブライアン・イーノ’や「4分33秒」で有名な‘ジョン・ケージ’に繋がり、また映画「幕間」のような繰り返しの音楽を書いて ‘スティーブ・ライヒ’ に代表されるミニマル音楽の先駆者となりました。 


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イーノ、デヴィッド・ボウイ、、コールドプレイ、ライヒやパット・メセニーグループは大好きだし、ケージは生を大学で見たこともあるし、(その時は子供の描いた絵を音楽に変換する楽器を披露。「サボテンの演奏」とか凄すぎでよくわからない・・・)その大元になったサティを何か弾いてみようと突然思い立ちました。
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その時代、パリのモンマルトルには、大勢の芸術家がキャバレー「ムーラン・ルージュ」「シャノワール(黒猫)」に集まって芸術の拠点となったそうです。ピカソやルノワール、ジャン・コクトー、アンリ・マティス・・・すごい面々ですね。その「シャノワール」でサティはピアノを弾いていたのです。

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キャバレーでは影絵劇も上演されていました。

 

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モダニズムの中で、サティはバレエ音楽も手がけます。衣装と舞台装飾はピカソ、脚本はジャン・コクトー、バレエ団の主催はディアギレフです。展示会で見た‘バレエ’「パラード」は、なんだかよくわからないけど、突き抜けたオシャレ感が満載でした。
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なので、舞台関係のマイナーでオシャレそうな曲を譜読みすることにしました。曲名は‘パントマイム’「びっくり箱」です。・・・禁則の嵐と予測不可能が和声進行に翻弄されているうちに、以前師事していた作曲の先生の金切り声が頭の中から聞こえてきました。
 

 

「何やってるの!こんな信じられない感性初めて!よくもこんなにひどい課題を書いてきたわ!!」「あなたの発想がもうわからない。」「ここまで汚い響きよく書いたわね、しかもここはすんごい短2度のぶつかり合い!」等。1時間半くらいのレッスンで涙目で帰らない生徒はいなかったと言われた、怒るとオネエ言葉になる先生。トラウマが蘇りました。
 

 

ウィキペディアから引用「それまでの調性音楽のあり方が誇張していた時代に、サティは様々な西洋音楽の伝統に問題意識を持って作曲し続け、革新的な技法を盛り込んで行った。・・中略・・そこでは調性は放棄され、和声進行の伝統も無視され、そして平行音程・平行和音などの対位法における違反進行もが書かれた。」
 

 

・・・トラウマから解放されるためにも、しばらくサティの曲、弾いてみます。
 

 

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パリ・・・一度も行ったことがないです。

只今、譜読み中・・・

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譜読みして練習することは、新しい曲を脳に入力する事ですよね。聴覚なのか視覚に頼るのか、触覚なのか、手の筋肉の収縮具合か、腕も含んだ運動系か…何かで記憶して弾く事に慣れていくわけです。

 

最初に何の情報をインプットするのか、または後回しにするのか…残念ながら、譜読み中の脳内をカチ割って覗く事はできないので、わからないのですが、実は十人十色どころでなく、信じられない様なところからインプットしている人もいるかもしれません。

 

直感的に楽譜を見た瞬間からイメージが湧いてアイデアがいっぱい溢れる人、そういう人の感性ってすごいなぁ・・と思います。

 

ところで、前のコラムと重複しますが、「思わず鍵盤を見てしまう」または「鍵盤を見ていないと不安で弾けなくなる」人は、視覚情報に頼りすぎています。そういう人は、完全に曲を覚えていない間、楽譜も ‘一生懸命見ないと次の音が弾けない’ けれども ‘鍵盤も見ていないと弾けない’ ので、視点が鍵盤と楽譜をかなり短い間隔で行ったり来たりしています。『暗譜しなさい、でないと合格できませんよ』で育てられて、ピアノが好きで大人になって戻ってきた人に多いです。

 

子供時代には通用した丸暗記も今はもう通用しないので(子供時分に弾いていた曲に比べて長くなるは複雑になるわで・・・)はじめから暗譜をしない作戦に出ても、『手元を見ていないと不安で思わず鍵盤を見てしまう』『見て覚えたつもりでも視点が楽譜から離れた途端に音がわからなくなってしまうので止まってしまう、または全く違う音を弾いてしまう』ので「ピアノを弾くことはやっぱり難しいことなんだ」と頭に刷り込んでしまいがちです。

 
例えばですが、冷蔵庫上段に入っている‘何か’を取り出そうとして、冷蔵庫を開けて見上げた瞬間に何を取り出すか忘れてしまった、とか。高いものを取るために脚立に乗ったら一瞬クラクラした、とか。

 

頭の位置が同じでも視野が急に上下したり、高いところに乗ったり逆に急にかがんで下の方を見たりすることで空間の状況が把握できなくなったり記憶が飛んだりしがちです。ブラインドタッチが不安で出来ない人は、楽譜と鍵盤を目で追うことで、ピアノを弾くときに上記を同じ状況を作ってしまっているのです。当たり前のことですが、普通は年齢を重ねる毎にますます症状が加速します(涙)。

 

楽曲をしっかり暗譜する訓練と練習を積み重ねることは、脳のアンチエイジングになりますが、年を取ってもなるべく「楽な気持ち」で「長くピアノ演奏を楽しみたい」と思ったら、完全な暗譜に頼らなくても、曲が弾ける方向に練習を積んでいくことも大事だろうと思います。
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適当な画像が思い浮かばなかったので、スイーツの写真をアップします。

暗譜とブラインドタッチ

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暗譜が強い人で楽譜を見ないで弾くことに慣れている人がいます。私は本番で暗譜が多いです。理由は2つ、1、自捲り(自分で譜面をめくりながら弾く)のが苦手である。連弾をしても相手に任せっきりです。2、譜めくりの人が横にいると邪魔である。だから無理矢理でも覚える方向で練習しています。

 

 

 

A先生は「絶対暗譜で弾きなさい」派です。U先生の大人の生徒さんはほぼ譜面を立ててステージに立っています。「どちらでもお任せします」派で、U先生自身は本番のステージで譜面を立てる、ピアニストとしては少数派です。

 

 

私自身は、子供の頃から「暗譜したら合格」だったし、高校大学時代の試験は暗譜だったし、コンクールも暗譜なので、暗譜が当然と思ってきましたが、生徒さんには「絶対暗譜で弾きなさい」とは言ってないので、教室の発表会では、保険をかけるつもりで楽譜を立てる人がいます。その方が安心だそうです。

 
では、楽譜を見て弾いているから全然覚えていないか・・といえば、そうでもなさそうです。何故なら、全く覚えていなくていつも初見状態なら、数ヶ月練習しても最初の頃とあまり変わらないということになるからです。何回も弾きこんだらテクニックは上達しますが、それも運動系の記憶です。楽譜を見で弾いていると思っている人のほとんどが、「楽譜を見て思い出している」想起している状態なんです。結局は、練習の結果「覚えて弾いている」ということになります。

 

 

 

本来なら、楽譜を見ながら弾いている方が、「想起する目印が無い状態」の暗譜で弾くことよりも楽です。譜面を立てているのは、音楽が記憶されている脳に外付けのUSB端子を差し込んでいる・・と考えるとわかりやすいでしょう。
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暗譜(楽譜を全部覚えてしまい、楽譜を見ないで弾くこと)は、とても素敵なことですが、鍵盤ばかり見ているため、楽譜を見る間がないので、「暗譜するしかない」という奏法は、辛いものがあります。途中一か所、たとえ1音でも外した途端に記憶が途切れてしまう怖さから解放されないからです。それと、楽譜と対話しながら弾くことは、作曲者の意図を確かめながら演奏する習慣になります。それも素敵なことです。

 

そのためには、弾くと同時進行で楽譜を目で追うことが必要になります。手元と鍵盤ばかり見ていると、楽譜のどこを弾いているかわからなくなるからです。

 

・・・ということで、いい加減でいいので、‘ブラインドタッチ’ でピアノが弾けることが大切です。

 

 

「手元と鍵盤を視覚で確かめながら弾く」ことが習慣化した状態は、色々な弊害があります。

 

 

1、『姿勢が悪くなる。』

当たり前ですが下を向いて弾いていることになるので、頭が落ちて姿勢が悪くなり、音も内向きになりがちです。

 

 

2、『譜読みしていても何を弾いているかがわからない』

頭を上げて楽譜を見て、頭を下げて音を出して、繰り返して音と鍵盤の位置を視覚で丸暗記する・・なんてことをしていたら、音楽が流れとして感じられません。せっかく初対面の楽曲と出会っているのに、これではわけがわからなくて楽しくありません。

 

 

3、『すぐ突っかかって止まりがちになる』

記憶の「入力」の仕方が悪いので、「出力(想起すること)」も悪くなる。要は効率よく暗譜どころか、たとえ譜面を立てていても、連続した想起が困難になるのです。

 

3の場合、若い頃は何回も練習して克服できるのですが、30代になってくるとそれも難しくなってきます。(中年以降は「意味記憶」が苦手になるのは以前のコラムでも書きました。)

 

 

4、『緊張する』

心身ともに緊張度が高くなります。不安感が強い中での演奏は、弾いている人もそれを聞いている人にも伝わります。不安感は心の問題ですが、体にも緊張となって現れます。

 

「正しい鍵盤に視覚情報を使って正しい指を置いて押す」のは脳の回路をたくさん使います。だから緊張度が高くなり心は不安に、体は不適切な運動になるので手の甲側の筋肉が硬くなりやすいです。普段の練習から筋肉の使い方や脳の緊張度が強いと、本番を迎える時には本当に恐ろしく感じられるはずです。

 

なので、別に天井を見てピアノを弾く必要ないですし、目隠しして練習することもないのですが、上記(1から4)のような状態に心当たりがある人は、一度ブラインドタッチでどこまで弾けるかを弾き慣れた曲で試してみると、自分自身のチェックになったり、また意外な発見があるのかもしれません。
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