暗譜とブラインドタッチ
暗譜が強い人で楽譜を見ないで弾くことに慣れている人がいます。私は本番で暗譜が多いです。理由は2つ、1、自捲り(自分で譜面をめくりながら弾く)のが苦手である。連弾をしても相手に任せっきりです。2、譜めくりの人が横にいると邪魔である。だから無理矢理でも覚える方向で練習しています。
A先生は「絶対暗譜で弾きなさい」派です。U先生の大人の生徒さんはほぼ譜面を立ててステージに立っています。「どちらでもお任せします」派で、U先生自身は本番のステージで譜面を立てる、ピアニストとしては少数派です。
私自身は、子供の頃から「暗譜したら合格」だったし、高校大学時代の試験は暗譜だったし、コンクールも暗譜なので、暗譜が当然と思ってきましたが、生徒さんには「絶対暗譜で弾きなさい」とは言ってないので、教室の発表会では、保険をかけるつもりで楽譜を立てる人がいます。その方が安心だそうです。
では、楽譜を見て弾いているから全然覚えていないか・・といえば、そうでもなさそうです。何故なら、全く覚えていなくていつも初見状態なら、数ヶ月練習しても最初の頃とあまり変わらないということになるからです。何回も弾きこんだらテクニックは上達しますが、それも運動系の記憶です。楽譜を見で弾いていると思っている人のほとんどが、「楽譜を見て思い出している」想起している状態なんです。結局は、練習の結果「覚えて弾いている」ということになります。
本来なら、楽譜を見ながら弾いている方が、「想起する目印が無い状態」の暗譜で弾くことよりも楽です。譜面を立てているのは、音楽が記憶されている脳に外付けのUSB端子を差し込んでいる・・と考えるとわかりやすいでしょう。
暗譜(楽譜を全部覚えてしまい、楽譜を見ないで弾くこと)は、とても素敵なことですが、鍵盤ばかり見ているため、楽譜を見る間がないので、「暗譜するしかない」という奏法は、辛いものがあります。途中一か所、たとえ1音でも外した途端に記憶が途切れてしまう怖さから解放されないからです。それと、楽譜と対話しながら弾くことは、作曲者の意図を確かめながら演奏する習慣になります。それも素敵なことです。
そのためには、弾くと同時進行で楽譜を目で追うことが必要になります。手元と鍵盤ばかり見ていると、楽譜のどこを弾いているかわからなくなるからです。
・・・ということで、いい加減でいいので、‘ブラインドタッチ’ でピアノが弾けることが大切です。
「手元と鍵盤を視覚で確かめながら弾く」ことが習慣化した状態は、色々な弊害があります。
1、『姿勢が悪くなる。』
当たり前ですが下を向いて弾いていることになるので、頭が落ちて姿勢が悪くなり、音も内向きになりがちです。
2、『譜読みしていても何を弾いているかがわからない』
頭を上げて楽譜を見て、頭を下げて音を出して、繰り返して音と鍵盤の位置を視覚で丸暗記する・・なんてことをしていたら、音楽が流れとして感じられません。せっかく初対面の楽曲と出会っているのに、これではわけがわからなくて楽しくありません。
3、『すぐ突っかかって止まりがちになる』
記憶の「入力」の仕方が悪いので、「出力(想起すること)」も悪くなる。要は効率よく暗譜どころか、たとえ譜面を立てていても、連続した想起が困難になるのです。
3の場合、若い頃は何回も練習して克服できるのですが、30代になってくるとそれも難しくなってきます。(中年以降は「意味記憶」が苦手になるのは以前のコラムでも書きました。)
4、『緊張する』
心身ともに緊張度が高くなります。不安感が強い中での演奏は、弾いている人もそれを聞いている人にも伝わります。不安感は心の問題ですが、体にも緊張となって現れます。
「正しい鍵盤に視覚情報を使って正しい指を置いて押す」のは脳の回路をたくさん使います。だから緊張度が高くなり心は不安に、体は不適切な運動になるので手の甲側の筋肉が硬くなりやすいです。普段の練習から筋肉の使い方や脳の緊張度が強いと、本番を迎える時には本当に恐ろしく感じられるはずです。
なので、別に天井を見てピアノを弾く必要ないですし、目隠しして練習することもないのですが、上記(1から4)のような状態に心当たりがある人は、一度ブラインドタッチでどこまで弾けるかを弾き慣れた曲で試してみると、自分自身のチェックになったり、また意外な発見があるのかもしれません。
2016.04.23│コラム
バッハは敷居が高いのかな?
私が子供の頃、友達でバッハを弾いていない人がいました。初見も早くて器用そうだったのに不思議でした。左手は伴奏形しか弾けなかったのです。(このバッハは、J.Sバッハの事です。バッハは音楽一家なので、実は有名なバッハという名前の作曲家が何人もいるのです。)
ザックリ説明しますと、西欧音楽は教会音楽のコーラスが元になっているので、多声部でした、それから、バッハはピアノができる前の時代の作曲家です。鍵盤楽器はありましたが、ピアノとは違う音が鳴りました。だから片手でメロディ、片手で伴奏を弾いても、美しくなかったのです。ちょうどピアノの祖先である「ピアノフォルテ」の試作品ができた頃に生きていたので、あと20年遅く生まれていたら作風が随分違ったと思われます。
バッハは入門者に右手と左手でデュエットしている様な簡素な曲を書きました。それがバッハのインベンションなのです。簡素な割に難しいです。
私は多分小学校の高学年前にインベンションを弾いていました。バッハは好きでした。その当時はあまり苦労して弾いた覚えがありせん。
私が習っていた先生は、国立音楽大学のピアノ科卒だったので、子供にハノン、エチュード( チェルニー)、古典、バロック(バッハ)をセットで与えるが当然だったんでしょう。ついていけなかった子は淘汰されたようです。その当時は、ちゃんと学校を出ていない先生も大手教室で教えていたので、母の先生選びはとても大切だったのだと思います。
ところで近頃は、ピアノの先生の質は総じて高くなっていますので、選ぶ基準は「ご家庭との相性」「習うのに都合が良い条件を満たしている」「先生の得意分野に興味があるか」でしょうね。
和声感をつけようと思ったら、左手でアルベルティバスと言う和音の分散形を弾いて、メロディとハーモニーの相関関係や和音進行をしっかり身につけるのは良いことです。非難轟々のバイエル…下巻についてはとても良い教材です。素敵な曲も沢山有ります。ただバロック的な要素から近現代、ジャズの要素まで網羅しているわけではないので、バイエルだけでは「右手メロディ、左手伴奏」に慣れ過ぎてしまうことになります。
私自身は、まずバイエル上巻でピアノデビューして、長々とバイエル下巻を、子供のハノン、メトードローズからピアノの練習ABC、チェルニー30番〜50番、ソナチネアルバムからソナタアルバム〜ハイドンのソナタ、バッハのインベンションからシンフォニア…しか覚えていないので、「導入」や「初級」の教本にポリフォニー的な要素を意識して入れてもらった感がないのです。が、バッハに上手く繋げてもらえた様です。バイエルだけでなくメトードローズも弾いていたのが良かったのかもしれませんね。
で、どうしたらバッハに繋げられるのか、興味を持ってもらえるか?
大人になって来た生徒さんで、バッハをよく弾いている人がいます。インベンションもシンフォニアも半分以上は弾きました。片手で二声弾くのも慣れたものです。この方は、私の楽譜をコピーしたりピースを買わないで、曲集になっている楽譜をちゃんと買われるので、続けて他の曲も弾きたくなるみたいです。残念ながら、毎週のようにバッハを持ってこられる方は少数派です。
勧めてもなかなか弾いてもらえません。最近は、ちょっとかじって「無理」と言われるか、黙ってフェードアウトされました。同じバロック時代のスカルラッティのソナタはOKなのに、バッハのインベンションやフランス組曲(抜粋なのに)はNGなのはどうしてなのかなぁ・・・
昨日一昨日と、思い出したようにパルティータを弾いてみて、改めてバッハを弾くのは楽しいなぁ(本番前だと胃が痛くなりますが)と思いました。プレインベンション、子供のバッハ、いっぱい楽譜が出版されているので、現在研究中です。
見慣れた黄色い電車でも桜の威力で幻想的に見えますね。(笑)
2016.04.21│コラム
白鷺教室の試演会
さわらび会から約半月。練習をサボらないように、前回イベール「ヒストリー」を聞いてもらった方に「また聴いてくれる?」と頼んでシューベルトのソナタA-dur D 664を通して演奏しました。今回は全楽章、楽譜のリピート記号通りに繰り返すことにしました。
そういえば、バッハの時代からほとんどの楽曲には繰り返しがあります。「演奏者はどういう気持ちで繰り返し演奏すればいいのか」「繰り返すことの意味はなんだろうか?」とレッスンのついでにU先生に聞いてみました。
U先生は面白いですね、っと話に乗ってこられて、「バロックの時代は繰り返して変奏するのが習わしだった」「主題をしっかり印象付けたいという作曲者の思いがあったかも。」「ストーリー性が強くて、繰り返すと物語が最初に戻っちゃって変になるような曲は、ストレートで繰り返しがない」みたいな話になりました。録音の技術がない時代、好きなだけ繰り返して音樂を聴くことができなかったので、「一回聴くだけじゃ物足りない!!」だから繰り返しをする曲が多いのだろうとも、言われました。馬車が世の中で最速だった時代、時間の進み方ものんびりしていて、ゆったりと音楽を楽しむ心の余裕が現代よりもあったのかもしれませんね。
で、このソナタは楽譜通り繰り返しをすると、全楽章通すと20分くらいかかります。20分もじっと聴いてもらうのはJ-POPに慣れた人には苦痛かもしれないなぁ・・と心中では申し訳ないと思っていましたが・・・
とても喜んで頂けてホッとしました。「先生、シューベルトってすごい人ですね、人生感じました。」シューベルトの楽曲からは、作曲者の自己顕示欲や感じられなかったそうです。『周りに迷惑かけない天才』だったんじゃないかと。たいていの天才は家族や友人に迷惑をかけまくるけど、シューベルトは表面的には極めて常識的な人だったのではないかと、「でも所々に闇を抱えているようなところが感じられて、それがまた魅了的ですね・・・」
「この曲は何回でも聴いてみたいです。」えっ!?そうなんですか?「一回では物足りないです。」というわけで今度は繰り返しなしで,もう一回聴いてもらいました。
「最初の演奏は全面にシューベルトがきてましたけど、二回目の演奏が先生が面に出ているような感じでした。」鋭いところを突かれました。一回目は頑張って自分なりのシューベルトを表現しようとしましたが、後の演奏は肩の力も抜けて即興的に弾いたところがありました、「長尾節」になってしまったようです。
まるまる1曲聞いてもらった上、貴重な感想たくさんをいただけました。本当に感謝です。
その上、ランチにパンをたくさん焼いてきてくださいました。おかずも何品か持ってきてくださって、全部とても美味しかったです。音楽の話も世間話もいっぱい出来て、しかもご馳走まで頂いてしまって、本当に楽しかったです。
もっとたくさんの種類があったのですが、写メする前に食べてしまっていました。
2016.04.19│コラム
初級の教則本について
レッスン未経験で先入観が無い未就学児の生徒さんは、「ピアノのレッスンって何ですか?」からはじまります。
ピアノの日には、レッスンバッグにピアノの本を入れて、教室ではピアノの譜面台に楽譜を置いて自分はピアノの前に座ってピアノを弾く」という一連の流れが、習い始めから当たり前だと思っている人は、年長のお手本がいるか、既に大人になっている人です。
最近は、引っ越しを期に他教室からMYMUSICに移られる生徒さんが多かったり、初めてピアノを習う方でも、お姉さんやお兄さんが既に習っている生徒さんだったりしていました。それもあって、ピアノのレッスンを知らない生徒さんと最初の一歩を一緒に体験できるのはすごく新鮮です。
導入期の教則本ですが、生徒さんとのマッチングが大切です。家や保育園、または幼稚園で「鍵盤楽器に触れた経験が長いか短いか」。「鍵盤と階名が結び付いているか」。「絶対音感が強いか弱いか」…
白鍵盤に対する興味が強くて、既に絶対音感を感じている、または固定ドで覚えようとする傾向が強ければ、中央のドから順番に出てくる教則本をチョイスしますし、もっと曖昧な感覚の持ち主なら、最初は黒鍵を中心に弾いて、音が上がったり下がったりをシッカリ意識する、相対音感的な教則本の方が向いていると思います。
黒鍵は二つ並んでいるのと三つ並んでいる所があるので、最初は「高い、低い」次に「高い、真ん中、低い」を知ってもらうのに丁度都合が良いです。
傾向が同じ様な教則本でも、進み方が急速でドが出た次のページでレが出て、すぐにドレミと弾かせる様な楽譜と、しばらくは両手の親指で中央のドを弾く曲が続く楽譜があります。
音を覚えるのも大切ですが、一緒に音価(音の長さ、長さの表記)も知ってもらわないといけないので、年少の人は最初はゆったり進む教則本を使う様にしています。
たいていの教則本は6巻くらいで終了し、その頃にはプルクミュラーが弾けるくらいになるように、書かれていますが…
当たり前ですが、教則本は進めば進むほど難しくなります。所々に難所があるので、思う様に弾けないと感じてしまうと、それが原因で練習嫌いになったりします。
もし壁にあたったら、一つの教則本だけに固執しないで、同レベルの違うシリーズの教則本にスライドすることも良いと思います。楽曲のレベルは同じでも、雰囲気やセンス、または違った様式の曲に逢えるのでなかなか楽しいです。
何かのメソッドを専門に教えられている教室だと、生徒さんをメソッドに合わせてお教えすることになるので、どんなに良く出来ているメソッドでも、時には生徒さんに無理や無駄をさせてしまうケースもあります。
私自身は、縁があってペースメソッドの勉強をさせていただき、支部やセミナーにも参加していましたが、いつの間にか辞めちゃっていました。ペースメソッドの関係の方にはちょっと心苦しいのですが、しょうがないかな…と思っています。
2016.04.17│コラム
身体を使う事の共通点3
昨日は太極拳に行ってきました。
余談ですが、元々クローズした鷺ノ宮フィットネスクラブのメンバーなので、白鷺、鷺ノ宮、若宮だけでなく、阿佐谷北から通っている人もいます。下井草の人はご近所に大手フィットネスクラブがあるのでいないみたい・・・というわけで、ここに越してきてから初めて、近所のおばさんたちと懇意になれそうです。
太極拳のクラスでは、複数の関節の動きが、お互い影響し合わない様に、また常に身体の何処かが突っ張る感じをなくして、身体の中が快適な状態をキチンと感じられる様にするために、先生は毎回言葉を変え、色々な表現で教えてくれています。
今回の例えは、「背の高いバネのついた椅子に座っている感覚」(先生の言葉そのままなら「弓の上に座る」でした)
身体が動くとき少し深く座りなおす、すると椅子のバネが下から押し上げてくれるので、その力を利用して身体を浮かせて移動する、という話をしてくれました。
太極拳はゆっくりした動きです。勢いや反動を使って激しく急速に動く運動ではないし、身体の一部に負荷がかかる事もないので、ピアノを弾いている身としては、安心して練習に参加できます。
ピアノでは、なるべく自分で力は省エネにして、体重の掛け替えと反動の力を利用し、運動から派生した動きを、そのまま次の一連の動きに繋げていく事によって、身体が快適な状態で弾き続けることができると思います。
太極拳は、重力と重力の反作用の力を使うのかな?と思い、キャリアのありそうな人に尋ねてみたら、「そういう事も考えられるわね。」っと、他のことも丁寧に教えていただけました。なんでも聞いてみるものですね。
ピアノと太極拳、それなりに共通点がありそうです。太極拳は勿論健康維持のためにおこなうものなのですが、ピアノも演奏することで健康維持につながると良いですね。
2016.04.16│コラム