力みを取るためにすることは・・・
我が母は70代後半ですが、テニスを続けています。運動神経は良い方らしいです。学生時代はバトミントンの大阪市の大会でメダルをいただいたそうです。子供が小学生の時からママさんバレエを初め、母のチームは、勿論母の熱意と実力だけじゃないのですが、名古屋市の大会では結構強いランクまで上がりました。
その後色々あって最終的にはテニスを始めました。母親は勝ち負けがないとつまらないそうです。とは言っても、自分の年齢より10歳から20歳くらい若い人に混じって、ゲームをしていると負けばかりらしい・・。「歳を感じた」と言い出したのでやめるのかと思ったら、「コーチがついた」そうです。で最近調子がいいそうで・・ 好調の原因がちょっと面白かったので、書いておこうと思いました。 漫画家の西原理恵子が「身内の恥だろうか、なんでも書いて売る」みたいなことを言っていましたが、似たようなノリかも・・
足が思うようについていかず、ボールの勢いもない・・が続いていた時に、コーチから一人だけ特別メニューで特訓をされたそうです。『コーチが手投げしたボールをコーチに返球する』ですが、コーチが手投げしたボールを手で直接受け取るので、ソフトに返さなくてはなりません。「まだ痛いですよ、もっとソフトに受けられるように!」と檄を飛ばされているうちに、足が軽くなってきて、球速も早くなったのだそうです。
母が言うところですと、頑張って打っていた時は力がラケットで止まってしまって、ボールも『硬い球』にはなるのに球速が出なくて、足ももたついて体の動きも悪かったそうです。対して、軽く打った方がラケットからボールに上手く力が伝わるようになり、自分も楽になったそうです。
メンタルではコーチから「何にこだわっているのか?」と自己分析させられたり、他の人はゲームをしているなか、一人だけの特訓をさせられたことで「自分は本当に下手なんだ。」と気づいたら、力みが取れて楽になり、それがプレーに表れてきたので、自信になったそうです。
母は「普段は4ゲームで疲れていたのに、ここのところ6ゲームを他の人と同じよう参加できるようになった」と喜んでいました。
どこかで聞いたような話・・・、力んで頑張るとピアノも『硬い音』で答えてくれます。自分も疲れるし、指も絡まってもたついたり、ミスタッチにつながるし良いことありません。「硬い音」=「硬い球」、「ミスタッチ」=「返球ミス」なのかな?体を使うことは皆同じですね。
今回、母は「メンタル」と「体を使うこと」の力みを一発で取り去ってもらいました。身の丈に余るような優秀なコーチについているんでしょうね。
写真は実家の猫ミィ、とても凶暴です。
2016.03.13│コラム
ピアノの練習に隙間時間の活用を
ピアノの練習=弾けない曲を弾けるまで練習すること
根本的にこの構図が間違っているのではないか…と。特に中高生以上の大人の場合ですが。 そんな話を生徒さんと阿佐ヶ谷教室帰りに話していました。
弾けないのには原因が有るので、原因を取り除いてから取り組むか、自然に弾ける様になるまで待つのが、賢明ではないかと。取り敢えず、子供の頃に先生から言われた繰り返し練習はしちゃダメだよね。という結論になりました。
弾けない、とか譜読み出来ないのは、きっと原因があるはずです。
1.作曲者の作風に慣れていなくて、ソルフェージュ能力や認知機能が働かない。とか、
2.テクニックや弾き方が間違っている。とか、
3.手の筋力と柔軟性の欠如で弾けない。とか、
4.自分には難曲だと思って、はじめから心が折れている。とか、
…残念な懸案事項がいっぱい出てきそうです。
2のテクニックの修正は、今までの習慣で弾いていたのを意識して直すので、時間がかかることもありますが、練習が正しい方向に進めば、新しいテクニックを自分のものにすることが出来ます。弾ける楽曲の幅もうんと広がります。
わたしならですが、1と4なら焦って弾くのを回避して、数ヶ月経ってから見直します。それを何となく繰り返して、ちょっとチャレンジしてみようかな。と思えるまで、違う曲を弾きます。ピアノ曲は多数あります。わざわざ弾くのが苦しい曲を長々と練習するより、楽しく弾ける曲を弾いていた方が、人生の音楽時間を有効に使えそうだからです。
問題は3です。「弾けるまで練習する」のが、危険な場合があります。演奏するに足る筋力が伴ってなかったら、本来なら演奏するのに使わない他の筋肉で力を補おうとします。身体に無理が出ない範囲なら大丈夫なのですが、極端に無理な使い方をした場合、取り返しがつかない故障につながります。
3は、ピアノから離れたときにプラクティスの時間を持つだけで、格段に弾きやすくなります。ピアノを弾いている最中に、親指の関節が引っ込まない様に根元から動かす練習をする。または、親指の付け根の水かき部分をら柔らかくする為よく揉む。くらいは電車で一駅か二駅移動する間でもできます。
1と4は放置。3はピアノを弾かずに解決する。実際ピアノを弾くことで解決するのは2だけです。が、この場合でも、弾けないものをガリガリ繰り返し練習するのは最も効率がはず悪いです…
ね…。っていうところで、その生徒さんとの分かれ道に差し掛かりました。
手を作るのは、ピアノを離れた時間にする。ピアノを弾くときは、より音楽的な課題に取り組むようにする。ピアノを弾いて指を強くしたり、または、負荷をかけた弾き方で練習をするのは危険なことかもしれません…と、これはU先生の意見です。突っ込んだ話をしていかないと、中々聞けないお話でした。
先ほどの生徒さん、「今までの先生は誰も教えてくれなかった。」と不満顔でした。どんな先生や生徒さんも、レッスン時間は弾ける弾けないに終始しがちです。 習う方も、たまには「練習してきたものを聴いてもらう」だけでないレッスンにしてみると、意外と良い情報を先生から引き出せるのかも知れませんね。
2016.03.10│コラム
感じる心と指の発達
「この曲が弾きたい‼️」小学生にリクエストされると嬉しいです。本当に弾きたい曲は、みんなビックリするくらいし練習してきます。大人も勿論ですが、弾きたくてワクワクする曲に出会えるのは、本当に嬉しいものですよね。
小学生なのにメロ譜で練習している子がいます。コードはドレミをふってあげました。左手はベースを抑えるのでいっぱいいっぱいですが、「先生、左の(バッキングの)リズムをここは変えてみたいんだけど。」って相談されました。弾きたい気持ちが弾ける様に指を育てていく、それが理想です。
ソルフェージュで感受性が高まると、内なる要求も湧いてきます。それにしたがって指も強くなってきます。「先生、この曲はお空の雲のイメージだから、フワフワ優しく弾きたいけど、どうしたらいい?」音色を作る時、どうやって手を使うか指をコントロールするか、一生懸命工夫します。そういう事の繰り返しで、指も育つのですが… 今の子供達は一昔前に比べて忙しくて、ピアノを弾いている時間は減少傾向にあります。ある程度の時間をかけてピアノに触ってないと、指や手の力が中々育ってくれません。
手の形や弾き方を煩く指導して、かえって硬い弾き方になったり、練習を強要して練習嫌いになるのも困るし… それに、関節や骨、筋肉が発展途上にある人に無理をさせて、バリバリ弾かせるのを見てると不自然で怖い感じがします。 そんな時、U先生に相談して、いいことを教えていただきました。
・・・・・ソフトボール。
丁度いい大きさだそうです。手をボールに被せると、丁度ピアノを弾くのに理想的な形になります。このまま握ると手の内側の筋肉が意識されます。落とさない様に手首を動かすだけで少し疲れるので、筋力を使っているのが分かります。 ソフトボールはサイズで小さい方から1号2号3号があります。わたしはAmazonで1号を買ってみました。小学生と手の小さな大人なら1号がいい感じです。U先生のところにあったのはそれよりかなり大きかったので3号かな?と思います。
買う時は直径を確かめて下さいね。 ピッタリなmyソフトボールを練習のお供に持つのも良いかも知れません。
(写真はハワイのとある教会のステンドグラスです。本文と関係ありませんが、綺麗なので貼り付けてみました。 教会…太郎さんの「駆け込み訴え」の影響かな?)
2016.03.08│コラム
ソルフェージュで幸せになれる?
ピアノを弾くと脳活になるというのはよく言われています。確かに普段の生活をで5指をバラバラで使うことはあまりないので、成長過程の子供達には、とても良いと思います。手先が器用になるだけでなく、手や指の筋肉がしっかりすることで脳にはものすごい刺激を与えるからです。
音楽をするというのは、聴覚もフル活動です。ソルフェージュ能力について「絶対音感を持たせる」ことにフォーカスしてしまうそうですが、実際は「相対音感」をきちんとつけることが重要です。「絶対音感」は一つ一つの音を覚えて判断するのでとても便利です。「相対音感」はそれに比べてアナログですが、聴いた音を基準に相対的に音高を判断するので、実は、「絶対音感」はなくてもいいけど、「相対音感」を持ってない方がよっぽど困ります。「相対音感」がもし無かったら・・・心配は無用です。音楽を聴いて楽しむことができるなら絶対に「相対音感」を持っています。
鍵盤楽器に小さい頃から触れていると「絶対音感」は付きやすいです。でも、同じ保育園から同じ小学校に上がって、MYMUSICのグループレッスンでピアノを習った・・・という、ほぼ同じ音楽環境でも、「相対音感」が強い子と「絶対音感」を強く感じる子がいたりするのです。
私事ですが・・・
受験生の時、高校のソルフェージュの時間や予備校では「絶対音感」に頼っていました。ピアノで弾いた音を「聴き取って、正確に楽譜に書く、覚えて書く」「初見の楽譜(特に無調の)を正確に歌う」は「相対音感」しかない人には不利です。ひねった問題が続出、「相対音感」の人たちは劣等生にされていました。
ところがピアノ科を受験する人はかなりの数の人が「絶対音感」を持っていて、対して歌科を受験する人はあんまり持っていない・・な感じなので、受験競争で「絶対音感」が物凄い有利になるとの話は聞きませんでした。実際に私の受けた国立音楽大学音大は「歌科」のレベルが高く、そこに合わせて試験が作られていたので、非常にメロディックな課題ばかりで「相対音感」で十分対応できました。時間が余りすぎて試験時間に寝ていた記憶があります。
プロ?になってお仕事をすると移調に便利な「相対音感」に頼るようになりました。夜店(よる営業する飲食店)や結婚披露宴のでお客さんに歌の伴奏を頼まれた時は素人さんのキーに合わせてその場で移調しなければなりません。「相対音感」が弱かったら絶体絶命になっていました。
子供の時から始まって、高校受験から大学受験に至るまで、ソルフェージュの時間は「訓練」でした。すごくつまらなかった・・・
楽器を弾いて指を動かして音を出す・・運動神経と聴覚が結びつくので、楽器を演奏していると、ただ楽曲を耳から聴くのではないダイレクトな刺激になります。だから脳がとても「快」な状態になって、楽しいのだと思うのです。本来なら「ソルフェージュの能力」は音楽を聴いてハッピーになるために高くするべきものだと思います。 だから、ソルフェージュのレッスンは「音を聴き分ける訓練」でなく、楽しくなる、幸せにつながる時間にしたいです。短いレッスンの時間でどれだけ出来るのか、先生の腕の見せ所かもしれません。
2016.03.08│コラム
武富太郎さん、大熱演でした。
先週の金曜日、武富太郎さんの朗読会がありました。体一つであれだけの表現ができるなんて… 太郎さんは武蔵野公会堂の大きな舞台に何も置かず、 そう、椅子一つ置かずに身一つで、観客の視線を一身に受けながら立っていました…
最初の演目、「串戯しっこなし 後編』(じょうだん)」は’風が吹くと桶屋が儲かる’風の、戯れで始めた夫婦喧嘩が、次から次にドミノ倒しのように、ご近所中に騒ぎを引き起こす…場面がドンドン転換して、登場人物も次々変わっていきます。
「東海道中膝栗毛」はお馴染み弥次さん喜多さんが、旅道中に出会った人々を巻き込んで騒ぎを引き起こします。すっぽんに噛み付かれて… 滑稽本と言われるだけあって言葉のリズム感や躍動感がとても生き生きしていますが、文語体が難しいなぁ〜。最後は疲れちゃって、内容を追いかけるより耳から入ってきた音声を聴いて楽しんでるみたいになってしまいました。これを全く噛まずして全身で表現が出来るなんて、どんな鍛錬をしたのか想像できません。凄いなぁ〜太郎さん。
最後の「駆け込み訴え」。凄まじかったです。ある男が「あの人」を「旦那さま」に訴える場面が続きます。一人芝居の様です。男が心情を切々と語るその狂気が、第一声から聴衆の心に突き刺さります。
楽譜みたいな強弱記号や表情記号がついているみたい…でも、本には無いから全部太郎さんが熟読して「ここはforte、ここritenuto」って決めていったのかな?そうか!本ってバッハの原典版みたいだ。黙読していても、自分で速度記号や表情記号、強弱記号をつけて読み進んでいるのかも。
クラシック音楽は伝承音楽だから、個人の裁量もあるけど、自分勝手な表現にならないように、資料を読んだり先生に教えてもらったりして、それらしく弾くけど、太郎さんの朗読を聴きに来る人は、誰のものでも無い「太郎さんそのもの表現」を期待して聴きに来るので、逆に外付けのアドバイスや表現は入れられないかもしれないなぁ…それも大変だなぁ…とか色々と考えてしまいました。
今回の朗読会はソナタだと一楽章が一番最後にきた感じです。華やかで動きのある終楽章から始まって、作曲家が勝負をかけて書く一楽章で終わった…つまり逆から聴かされた様な気がします。太郎さんはギリギリになって、朗読順を変えたのかもしれません。そこのところは本人に聞いていないので、想像なんですが。 太郎さんの朗読会、次はいつになるのでしょう?また、活動情報で告知させていただきますね。日常を忘れ異空間に飛び込みたい人、是非太郎さんの朗読を体験に来てください。
2016.03.06│コラム